都心部の隅っこで
自分は2016年に今の場所に引っ越して来たのですが、前にも書いた通りで、ここに決めて良かったですね。場所的には都心部とは言え、本当に隅っこの所なので、決してマウントを取れる立地でもないのですが、2022年以降の東京の激しい変化を間近で見られたというのは、得難い経験でした。おかげで自分は、次の時代に街の中で響かなくなっている音楽を、かなり早いタイミングで捉えられていたような気はします。それは自分の諸々の選択に、大きな影響があったと思います。
次の時代の日本がどうなっていくのかを考えていくと、日本政府がどんなに減税をしようが、内需の拡大に向けて投資を行おうが、それは穴の空いたバケツに水をじゃぶじゃぶ入れるような行為でしかない、という分析が海外の投資家からなされている日本の現実と向き合うことになるでしょう。
つまり、世界の資本主義の構造を紐解けば、能力・出自による格差がリスクの緩衝材としてスタートアップなどの新規事業の創生を担保している構造が見えてくるにもかかわらず、日本は能力・出自による格差を許容せず、それが国全体を底上げできる価値創造を構造的に妨げている実態が浮かび上がってくる、と。
新規事業の打率が3割を超える、なんていうことは稀で、そこは10発打って1発ヒットが出れば御の字の世界だったりします。そこを個人の自己責任で成功させる、ノウハウの蓄積で打率を上げられる、というようなことが人類史上、全く起きていない以上、結局9回失敗しても経済的には無傷でいられる富の偏りが(能力・出自による格差)社会の中に滞留していることが新規事業の創生には不可欠であるのが、資本主義の根本にはあるでしょう。一般論として、その資本主義社会を円滑に回すのに不可欠な富の偏りを、日本は忌避してしまっている、ということは言えると思います。
その構造が別の負の要素として強く表れる場面の一つに、組織の人事評価制度があると言われています。例えば、同じ日本国内で活動していても、外資系企業のTFP(全要素生産性)は国内企業より総じて高いというデータがあるそうです。TFPとは、投入した資本・労働の量に対して、どれだけ効率よく産出に変換できているかを示す指標です。資本を継続的に投入してもTFPが横ばいのままなら、それは定義上「入れた分だけ漏れている」状態ですが、日本の長期停滞論の中核にあるのはまさにこれで、資本投入は継続してきたのにTFPの伸びが低迷し続けてきたことが、成長率低迷の主因として、海外では指摘されています。そこで日本固有の問題として繰り返し指摘されるのが、日本式の人事評価制度ではあります。この日本式の人事評価制度は、その富の偏りを許容しない感情をベースにしたもの、という分析もされていたりします。
結果として海外投資家の投資先として選ばれるものが、日本的な人事決定そのものが介在しない、あるいは介在しても影響が小さい領域に限られる、ということになっています。人事評価ではなく、物理法則が根拠となる技術(半導体装置)、外圧で強制された資本効率化(外資によるガバナンス改革)、防衛産業、個人の才能が組織を介さず直接評価される市場(コンテンツ)、そして為替差益(不動産など)が、海外投資家に選ばれる投資先になっています。
そして、それらの産業規模を考えれば、それがどれだけ成功しても、その雇用・所得インパクトが日本国民全体に行き渡ることは構造的に考えにくく、現実的に次の時代の日本は、海外投資家に選ばれる枝葉の経済圏と、残った大部分の大企業、中小企業文化が営む経済圏が併存する、経済の分断された社会になっていく、ということになります。誰が政権を担おうが、どんなに減税を行おうが、富の偏りを許容しない感情で社会のルールを決め続ける限り、日本全体の底上げはなく、部分的な繁栄しかないという見通しが海外投資家たちの投資行動から読み取れる次の時代の日本、ということにはなるでしょう。
この海外投資家の投資行動を元に考えれば、自分が次の時代に繁栄する側に入れるとするなら、上記の中では、個人の才能が組織を介さず直接評価される市場、ということになります。それは、自分の創作が評価される見込みのある市場へ、自分が直接働きかける、という話になるでしょう。そこに自分はベットしましたし、それは間違っていなかったんだろうと、今更思っています。
もちろん、自分の選択が上手くいくかどうかは自分でも分かりません。分からないですが、座して死を待つ選択は、あり得ないです。ダメならそれが自分の能力。能力が低いからと言って何もしなければ、停滞したままの大企業・中小企業文化の中心で、ノールックで戦争反対を叫ぶか、政権政党を恨むか、ヤフコメで暴れるか、そんな人生しかなかったと思います。
いくら自分が凡人だからと言って、それはないです。そこは、自分のプライドにかけて、絶対ないです。










