読んでいて全然わからない、頭に入らない、退屈でなんだか嫌な感じがする、というと、みんな何か自分の能力が劣っていると言われているような気がして怒り出したり本を放り出したりするんですね。「翻訳が悪い」とか「もっとわかりやすく書け」とか人のせいにしたり、「もっと勉強しなきゃいけない」「わかりやすい本はないか」とか、初級があって中級があって上級があるというような、知の序列の問題として考える。そうしたある種の劣等感や怒りに漬け込んで益体もない入門書やビジネス書などを売りさばいて、読者を搾取する輩が後を絶たないわけです。もう一度言いますよ。これは搾取です。でもね、本当はそういう問題ではないんですよ。読めるわけがないんだ。他人が書いたものなんて読めるわけがない。読めちゃったら気が狂ってしまうよ。これはごくごく簡単なことです。こうです。あなたの夢をそのまま見たら私は狂うかもしれない。あなたが朝起きてふと自分が涙を零していることに気がついてしまうような、懐かしい故郷の風景や祖母の姿の夢を見たとしましょう。遠く彼方に滲んで揺れるような、あの追憶にも似た夢を。しかし、それをそのまま直接まざまざと私が見たら。あるいは私の夢を、あなたが。段々お話していきますが、書くということ、読むということは無意識に接続するということである。だからカフカの小説を読むということは、半ばカフカの夢を自分の夢として見てしまうということです。ならば、そこで「自然な自己防御」が働いて当然でしょう。それは本質的な難解さ、退屈さであって、決して難解ぶっているわけでも翻訳が悪いわけでも面白がれない自分が劣っているのでもないのです。
『切りとれ、あの祈る手を 〈本〉と〈革命〉をめぐる五つの夜話』 佐々木中 河出書房新社
























