詩聖中也大すこなんだけど木戸大聖くんの演技はちと固かったね。
彼は監督が見込んだだけあって顔と雰囲気はバッチリだったからヨシ!
広瀬すずたんは初めてちゃんと観たけど上手かった。あの髪型似合うし衣装も素敵でした。そして桜田淳子さんにちょっと似てるなってことがわかった笑
あの映画のラストの描き方は男たちとのすれ違いの愛と痛い経験を経て男に期待するのをやめた女性の自立を描いていて良かったけど史実とはかなり違う。
かなり前に泰子さんの同名回顧録を読んだが彼女は中也の亡くなる前年に富豪と結婚しているし女優として自立して身を立てていたというわけではなかったようだ。
晩年は夫とも別居(離婚?)しビルの管理人をしていたという。
泰子の育ち方とあの強迫性障害は、まるで私自身と重なるので本当に痛々しくて、若い頃は私も男に期待して依存してメンヘラ度ではガチであんなだったし、彼女も身勝手だが男たちも身勝手であり、愛なのか、自己愛なのか、未熟な者同士の愛の引っ張り合いがもうね…。
ちなみに私は断然中也派でいかにも評論家然とした小林のような男は敵だと思っている。ああいう奴は親族にもおるが紳士に見えて実は冷たい人種である。
泰子に横恋慕し無責任に手を出しておきながら最後は捨てるんか。そも彼が愛していた、というより複雑な嫉妬混じりの感情で執着していたのは中也ではなかったか。映画的演出かもしれないが、泰子を漸く抱いた後にあのセリフはないだろう。自分の持っていない本物の才能を持った中也を褒め称えながら内心嫉妬していたのではないのか。中也から彼の最愛の女を奪う、その行動の裏には単に女に惚れただけではない複雑な心情が隠れていたはずである。映画はいかにも現代的解釈なのかBL的な文脈で小林の動機を演出していたが本当に泰子の中に中也を見ていたのだろうか。泰子さんからすればそれだけで既に酷い話だが更に勘ぐれば中也の才能への嫉妬もあの裏切りの底にはあったのではないかと思う。ああいやだねああいう男は。男同士の友情はどこへ行った。助けて松本零士先生!である笑
岡田将生くんはさすがに大聖くんに比すれば上手かった。あの初めて『天然コケッコー』で観た時からは想像出来ないほど大人になったね。
晩年の中也は痛ましくて見ていられなかった。彼の作品は色々読んだが日記のような散文も読んだ気がする(他人の子である泰子の息子さんのことも可愛がっていたし子ども好きだったのだろう)。彼のたしか長男だったと思うが息子さんが幼くして死んでしまって中也は激しく気落ちし更に脳膜炎に罹患、呆気なく夭逝してしまった。
ハタから見れば中也と泰子は運命の相手のように見えるが、実際の二人の心情はどうだったのだろうか。昔は二人の関係に胸を焦がしたものであるが、この歳になると中也も才能と魅力はあるが子供のような男だなと冷静に考えてしまい(劇中泰子が彼を「天使」に重ねて評していたのはそういう意味も含むのだろう)、泰子さんが中也の処にはかへらず、もう自分の道を歩きたいと願ったのも深く何度も頷けるのである。実際にはここで富豪に嫁ぐという、またしても遠回りの道を選ぶことになるのだが。
しかし彼女がずっと、本当に心の底から願っていたのは自分が自分自身であること、その為には自分の力で颯爽と生きていくことだったろう。私ももうずっとそうなのだ。それを希求してやまないくせに、思い通りに自分で自分を動かせない。狡くて怠惰で病的で、それが出来ない自分に絶望する。そしてもういいや!と自棄になり、いっそ悪い女になってやろうかと考える。どうせ私はお目溢しをくれる男なしに生活出来ないのなら、支配的な男に振り回されるのではなくこっちが利用し支配してやればいい。アホな私はそんなことを考えながら、いや私は本当は自立がしたかったのだ、と我に還っては自己嫌悪する。情けないことに私の人生はこの繰り返しである。最晩年の泰子さんはご自分が夫との別居、ビルの管理人などで自活出来るようになったことがなにより素晴らしいことだと自負していらしたようだが全く同感であるしその心情は察して余りある。烏滸がましいことは重々承知しているが私も彼女の後に続きたいし諦めさえしなければ夢は叶うと信じたい。私は普通に自分の力で生活したいだけなのだ。
中也と泰子さんの魂が安らかであることを祈ります。あの二人は天国でも仲良く喧嘩してたりしてね。