
blake kathryn
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let's talk about Bridgerton tea, my ask is open

Kiana Khansmith
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he wasn't even looking at me and he found me
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"I'm Dorothy Gale from Kansas"
Lint Roller? I Barely Know Her

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養老先生が「皆さんは無意識のうちに西洋近代的自我を教え込まれている」と指摘していたことがあったけど、キリスト教的な世界観というのは、天使のラッパが鳴ったとき、個としての“自我”を神の前に差し出せるように、自分とは何者であるかを明確にしなければならず、「確立された一つの自我」を求める文化的要請が内在化しているということ。 その内在化した自我観が「私はどういう人間なのか」「何者として説明できるのか」「何者かになって何かを生まなければいけない」という焦りを生み、日常の選択からキャリア、アイデンティティに至るまで、絶えず“自分という物語を固めろ”という無言の圧力をかける。 重要なのは、自我を手放すことではなく、自我をむしろ鍛えつつ、その自我を相対化できるメタを同時に保つことで、養老先生が言うような「西洋近代的自我」の枠組みにはまると、固定された“私”を必死で作らなきゃいけないという焦燥が生まれるが、その焦燥そのものが、自我を一枚構造で理解してしまっていることから来ている。単層しかないと、私はこうあるべき、私はこうでなければならない、他人もこうであるべきという固定化が起き、自我の硬直や単層性によって苦しみが生まれる。 成熟した自己というのは、自我の一枚目を消すのではなく、自我そのものを二重化する方向に発達していく。一次の自我は「私はこう感じている」「私はこう思う」と世界に能動的に関わり、判断し、責任を取る主体として働く。その一方で、二次の自我(メタ自我)は、それらの反応を「いま自我はこう動いている」と外側から静かに見ている層として並行する。 この二重化が生じると、「私はこうだ」という一次の主張の内側に、「でもそれは状況や状態によって変わりうる」という自己相対化の働きが同時に存在するようになる。つまり、自我の内側に“自らの否定可能性”が包摂される。自我は硬直せず、かといって消えてもいない。柔らかく、それでいて折れない主体が立ち上がる。 ここで“自我を非自我と相互に包摂させる”という感覚が生まれ、自我は確かに自分という中心だが、同時にその中心は世界との関係性の網の目の一点でしかなく、他者もまた同じように中心を持つ存在である。主観としては、自分が中心である感覚と、世界には無数の中心が存在するという理解が矛盾せずに並ぶ。これはライプニッツのモナド論に近いが、より身体的で経験的な理解として成立している。 その状態が開けてくると「ただ私はそこにある」という在り方が、空っぽでも無責任でもなく、むしろ固定化された自我の緊張から自由になった自然な主体のありようだとわかる。
“私に悪意を抱いている人間が、私のことで大なり小なり時間を使ってしまったとしたら、そいつの負けだ。”
— Twitter / テストユーザー (via rpm99) (via takaoka) (via fukumatsu) (via 4hey4hey) (via nemoi) (via flood) (via petapeta) (via yaruo) (via rosarosa) 2009-12-06 (via gkojay) (via eternityscape) (via usaginobike) (via rock-the-baby) (via gutarin) (via plasticdreams) (via dukkha) (via yellowblog) (via petapeta) (via mtakeshi) (via kandelaar) (via girio) (via kobazo) (via layer13)

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“養老先生が「皆さんは無意識のうちに西洋近代的自我を教え込まれている」と指摘していたことがあったけど、キリスト教的な世界観というのは、天使のラッパが鳴ったとき、個としての“自我”を神の前に差し出せるように、自分とは何者であるかを明確にしなければならず、「確立された一つの自我」を求める文化的要請が内在化しているということ。 その内在化した自我観が「私はどういう人間なのか」「何者として説明できるのか」「何者かになって何かを生まなければいけない」という焦りを生み、日常の選択からキャリア、アイデンティティに至るまで、絶えず“自分という物語を固めろ”という無言の圧力をかける。 重要なのは、自我を手放すことではなく、自我をむしろ鍛えつつ、その自我を相対化できるメタを同時に保つことで、養老先生が言うような「西洋近代的自我」の枠組みにはまると、固定された“私”を必死で作らなきゃいけないという焦燥が生まれるが、その焦燥そのものが、自我を一枚構造で理解してしまっていることから来ている。単層しかないと、私はこうあるべき、私はこうでなければならない、他人もこうであるべきという固定化が起き、自我の硬直や単層性によって苦しみが生まれる。 成熟した自己というのは、自我の一枚目を消すのではなく、自我そのものを二重化する方向に発達していく。一次の自我は「私はこう感じている」「私はこう思う」と世界に能動的に関わり、判断し、責任を取る主体として働く。その一方で、二次の自我(メタ自我)は、それらの反応を「いま自我はこう動いている」と外側から静かに見ている層として並行する。 この二重化が生じると、「私はこうだ」という一次の主張の内側に、「でもそれは状況や状態によって変わりうる」という自己相対化の働きが同時に存在するようになる。つまり、自我の内側に“自らの否定可能性”が包摂される。自我は硬直せず、かといって消えてもいない。柔らかく、それでいて折れない主体が立ち上がる。 ここで“自我を非自我と相互に包摂させる”という感覚が生まれ、自我は確かに自分という中心だが、同時にその中心は世界との関係性の網の目の一点でしかなく、他者もまた同じように中心を持つ存在である。主観としては、自分が中心である感覚と、世界には無数の中心が存在するという理解が矛盾せずに並ぶ。これはライプニッツのモナド論に近いが、より身体的で経験的な理解として成立している。 その状態が開けてくると「ただ私はそこにある」という在り方が、空っぽでも無責任でもなく、むしろ固定化された自我の緊張から自由になった自然な主体のありようだとわかる。”
— Xユーザーのかぽさん: 「養老先生が「皆さんは無意識のうちに西洋近代的自我を教え込まれている」と指摘していたことがあったけど、キリスト教的な世界観というのは、天使のラッパが鳴ったとき、個としての“自我”を神の前に差し出せるように、自分とは何者であるかを明確にしなければならず、「確立された一つの自我」を求める」 / X
“電車なうだけど横でサラリーマンが『女の恋は上書き保存というが、割にキャッシュが残っていてしかも一部欠損してるし文字化けは独自解釈で復元しやがる』って同僚らしき人に嘆いてて、何かを納得するとともに彼の人生にエールを送りたくなった”
— Twitter / 石敢當/がんとう/後藤紘明 (via deli-hell-me)
“娘「どうしてあの子は持っていて、私にはないの? 不公平よ!」 父「いいかい、他人と同じものを持つことなんて絶対にないんだ。世の中が平等なんてことは絶対にないんだよ お隣の人のお茶碗を覗いていいときは、その人が十分に足りているかを確認するときだけだ。自分が相手と同じだけ持っているかを見るために覗くんじゃないんだ」”
—
娘「お隣の子は持ってるのに不公平よ!」→それに対して父が語った言葉:らばQ
アメリカのコメディアン、ルイス・C・K氏が娘に伝えた言葉
(via capybara-is-watching)

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‘78 Honda CX500
© BBCR Engineering
コミケとAIの話 AI側の言ってることはまぁ正しい。そも運営が受け入れたのだ。例の万博コスプレみたいなものであとは感情論でしかない。 ただ創作者であるところのAI派の人たちは、その溢れる情熱を今までどうしていたのか、そこは気になる。 AIの前に紙とペンがあったそのときなにしてたの?
“私が中学生だったころ、誰か とつきあっている女の子は、ときどき自転車に乗らずに学校に来ていた。男の子の自転車の後ろに乗せてもらって帰るためだ。彼女たちは少しはずかしそうに、 でもどこか誇らしげに、幼い「彼氏」の肩に手をかけて河川敷を走っていった。ときどきどちらかが何か言い、ふたりで笑っていた。何を話しているのかな、と 私は思った。とってもうれしそうだ。私もいつかああいうことをするのかしら。 十九になったとき、仲の良かった男の子が川の近くに住んでいた。私は彼に訊いた。自転車もってる、あのね、自転車の後ろに乗せてほしいの、そ ういうのやってみたかったの。 彼は親切な男の子だったので、もちろんそうしてくれた。春の終わりの晴れた日の、風の弱いきれいな昼下がりに。でもそれはただの二人乗りだっ た。その日はただの春の日で、私たちがしたことはただのデートだった。 私はありがとうと言った。私はかなしかった。私はもうすぐ成人で、男の子の自転車の後ろに乗ることが特別であるような年齢ではなかった。その ことがよくわかってしまった。自転車の後ろに乗って河川敷を走るのは、十五歳までに済ませておくべきだった。その行為はその年齢においてのみ、恋のアイコ ンとして機能する。十九になってしまったら、もうそれを手に入れることはできない。 それから更に十数年が過ぎて、私のアイコンはさらに少なくなった。時間が過ぎてゆくごとに、いろいろなことが当たり前になってしまう。同じ行 為をなぞってみても、かつてそこにあったはずの特別さはきれいに失われている。 最初にアルバイトをしたときには、タイムカードさえ特別だった。それは自分が誰かの役に立つことができ、それによってお金を稼ぐことができる ことを示す、たのもしい記号だった。私は誇らしくそれを押した。がちゃんと音がしたことをよく覚えている。いい音だった。私はもうあんなふうに働くことは できない。 私はすべての特別さを消費してしまったのだろうか、と思う。すべてのあこがれを、すべての熱を、世界とじかにつながるための神聖な儀式を。 そんなはずはない。私はまだそんなに長く生きていない。私はこれから、三十二歳のうちにしておくべきこと、三十五歳までにしておくべきこと、 四十歳になったらするべきことを探さなくちゃいけない。そのときだけ特別に感じられることは、この先にもきっとあるはずなのだ。”
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十五歳までにしておくべきこと - 傘をひらいて、空を 2010-04-14 (via pinto, fmfy-deactivated20110915) (via aspirinsnow)
痛いくらいに、わかる。
(via papalove-mamily-tenjiku) (via amaisaeta) (via tanigon) (via yamatema) (via eagletbr)
(via gkojax, gkojax, raikatata-blog)
(via aki-zizi-memo, aki-zizi-memo, text-over1000notes-jp)
(via wild-rabbit-resistance)
(via kokohazi)
Full Power Ducati Burnout | Red Rider Performance & Smoke Show
An incredible shot of a MotoGP/Superbike rider on a Ducati Panigale performing an intense burnout demonstration. The image captures the raw power of the engine and the thrill of high-performance motorcycle culture. Perfect for bike enthusiasts and fans of motorsport adrenaline and stunts.

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fender 316
オーテックザガートステルビオみたいになってしまった