宮崎駿監督『紅の豚』、その主題と歴史的背景 井上輝夫
はじめに
このたび、宮崎駿監督の『紅の豚』を取り上げてみることにしましたが、実はわたしは若い人ほどアニメの世界にくわしいわけではありません。ただ、ニューヨークに派遣され、全寮制にちかい私立高校で学院長を務めた時代があり、高校生の皆さんに話をしなければならないという事態に立ちいたって、どうしたら、世代のちがう若い人々に耳を傾けてもらえるかを考えることになりました。当時、わたしはもう還暦にちかくて、このくらいの年になりますと、若い人々のもっている文化環境は見えにくくなるものです。かりに見えたとしてもなかなか感性のうえで受け入 れにくいものです。大げさに言えば、有史以来、人間は世代間の文化やそれにともなう価値観のズレがつねに議論の対象でした。そして、多くの場合は年長者にも若者にも理解しあう手だてがなく、お互いに匙(さじ)をなげるということで終わるわけです。
しかし、若者と日々接して仕事をすることになったわたしは、何とかして若者との話の糸口をさぐり、コミュニケーションをよくしたいと思っていたのです。そこでふと考えついたのが、宮崎アニメで、これがきっかけとなって、『風の谷のナウシカ』を頭にふって話をするというようなことをしました。なにしろ『風の谷のナウシカ』は非常によくできた、わたしの好きな傑作でしたから。
その後、そんなことを考えていたおりも折り、マンハッ タンのロックフェラー・センターで宮崎駿の『もののけ姫』が上映されました。同じ職場で働いていたアメリカ人の職員が見にいって、とてもすばらしいと感想 を洩らしました。つまり、宮崎アニメは若い人に受け入れられているジャンルであるばかりか、日本のみならず海外でも高い評価があって、また職場の人間関係を円滑にするためにも実によい話題だと確信し、『紅の豚』を見てくれるように大いに勧めたわけです。これが宮崎アニメをちゃんと見はじめた動機です。
はじめて『紅の豚』を見る人はおそらく無邪気に大いに笑い、「かっこいいとは、こういうことだ」という糸井重里のキャッチ・フレーズにうなずくことでしょう。しかし、この一九九二年に公開された『紅の豚』は 宮崎の作品系列のなかでは独特の位置を占めるアニメで、かならずしも子供のためのものではなく、むしろ大人向きなのですね。実際、宮崎は「個人的な映画、 自分の楽しみのため」に作ったと言っているくらいですから、本当は大人が見たほうがよく分かるアニメです。つまり表面的な活劇の面白さのなかにも奥の深い背景があることに気づきました。宮崎駿監督には大変失礼かもしれませんが、「たかがアニメ、されどアニメ」で、おもしろさ、痛快さのなかにも、語るに値するだけのある物の見方や背景が隠れているように思われたのです。
そこで今日は、この『紅の豚』という作品をわたしはどう読みとくかということをお話ししたいのです。ただ、わたしは映画評論家でもないし、映像分析やアニメの研究家でもありません。たんなる観客の一人でしか ありません。ですから、かなり勝手な解釈をしてしまうかもしれませんが、そこはお許しいただいて、すこしでも皆さんの参考になれば幸いです。
芸術の「まやかし」
さて、話をはじめるまえに、ひとこと言っておくことがあります。芸術作品のもっている基本的な性質についてです。
一般に芸術作品というのは言葉/文字をふくむ視聴覚に訴える素材から表現(宮崎の言葉では「まやかし」)を作りだすものですが、それは現実ではなく虚像であるにもかかわらず、感覚のレベルをこえて理性や精神にまで訴えかける力をもっています。文学も絵画も音楽も、たんに感覚を刺激するだけではないですね。ましてや映画やアニメというのは動く映像や音響、音楽 といった視聴覚に訴える総合的な芸術で、言葉/文字だけの文学や、視覚だけの絵画の表現にくらべれば圧倒的に大きな情報量をもっています。この特徴が言葉や文字表現にたよる文芸や、視覚にたよる絵画よりも、ひろく多くの人々にたやすく理解される理由です。
そして、どのような芸術のジャンルであろうとも、じつに不思議なことなのですが、表現されたものを見たり聞いたりすることで、鑑賞する人は現実の経験と同じような刺激を受けるのです。メディア体験とも擬似体験ともいえるものですが、人の心はその仮想の世界に一喜一憂して笑ったり涙を流すことができるのです。いや、それどころか生きる勇気さえ、そこから実際にもらったりするのです。考えてみれば、これは人間の不思議な共感する力であると思わずにはいられません。そこで、この『紅の豚』という一本のアニメ作品から、なにを体験し、なにを読み取れるのでしょうか。いろいろな解釈の切り口があると思うのですが、『紅の豚』では、実際の歴史的な背景というものがとても大切に思われるので、そのあたりを中心に作者の意図とか作品の特徴などをさぐってみようと思うのです。まさに、「たかがアニメ、されどアニメ」なのです。
『紅の豚』のできるまで
この作品を制作監督した宮崎駿は一九四一年(昭和十六 年)の生まれです。皆さんからすれば、お爺さんにちかい年齢差がありますが、その年、まさに日本帝国海軍が十二月七日未明(現地時間)ハワイの真珠湾に奇 襲攻撃をして、太平洋戦争が始まった年です。この世代の人々は兵士として戦闘に参加した体験はないわけですが、戦闘や砲撃、空襲や家族の死、疎開だとかを 経験していて、その記憶が残っていますね。また、宮崎一家は飛行機の部品にかかわる製造業を営んでいたようですが、戦時下にかなりの強い影響を受けたで しょう。
こうした環境からか、宮崎はだれもが知る、空に憧れ、 飛行機に興味をもつ少年となり(これは、最近上映された『風立ちぬ』に描かれたゼロ戦の設計者、堀越二郎の少年時代とかさなります)、また学習院時代には 漫画を描いていたことも知られています。今でも飛行機や戦車を描くのが大好きなようですね。
この世代は、日本の敗戦、復興、高度成長、バブル景気 とその崩壊、冷戦の終結といった昭和の激動を経験しています。食べるものもろくになかった貧しい時代から、大量消費社会の飽食にいたるまで知っているとい う世代です。団塊の世代よりすこし早い世代だということをちょっと頭に入れておいてください。
さて、『紅の豚』というアニメはもともと『モデルグラ フィックス』誌に掲載された「飛行艇時代」(一九九〇)という漫画から発展してきたのです。ここで関心をひくのは、宮崎が第一次世界大戦から一九三〇年代 ぐらいの時代にストーリーを設定し、当時、全盛であった飛行艇の世界をあつかっていることです。漫画を見ますと、豚さんの姿も、操縦する紅の飛行艇も、す でに形ができあがっていますし、アドリア海の隠れ家から出発する場面もほぼおなじ構図であることを考えますと、基本となるイメージの構想はすでにできあ がっていたと思われます。あきれたことに、漫画には「六〇〇馬力にチューン・アップしたイゾッタ・フラスキニ・アッソ水冷V型十二気筒(Isotta Fraschini Asso)」という一九三〇年代にイタリアで実際に製作されたエンジン名を注記しているくらいですから、どう見ても作者は飛行機のエンジンやメカニズムに ついてとてもくわしい知識をもっている人だと思わせます。また、動画の元となる絵コンテの操縦席のデッサンなどを見ますと、実にたくみに操縦桿やスロット ル・レバーなどが描きこまれていて感心します。作品のストーリーがすでに固まっていたかどうかは分かりませんが、こうして原作の漫画からアニメ化するにあ たって、絵コンテへという制作プロセスをたどったわけです。そして、動画のための作画数は五万八四四三枚、色彩は四七六色が使われました。気の遠くなるよ うな膨大な手仕事ですね。
このアニメ、『紅の豚』(Porco Rosso)は、もともと日本航空(JAL)の国内便で上映される作 品として構想されたのですが、しだいに劇場用アニメとして九十三分十八秒の長さになります。はじめ、テーマは、「疲れて脳細胞が豆腐になった中年男のため のマンガ映画」であって、プロデューサーの鈴木敏夫によれば宮崎が「自分を語ったものだ」とも言っています。仕事に疲れたたくさんのサラリーマンが国内便 にのっていることや、宮崎自身がほぼ五十歳、中年になっていたこともあるでしょうね。そして、同時に宮崎駿は「この一、二年の政治変動とか歴史の流れって いうのは大きなボディー・ブローだったんですよ……」と語っているところを見ますと、東ドイツやソ連邦の崩壊、東西対立という冷戦構造の終わり、ついで湾 岸戦争などの出来事が宮崎に深いショックをもたらしていたことがわかります。とりわけ作品の舞台となったアドリア海に面するユーゴスラビアの内戦には大き な衝撃を受けていたようです。
作品が公開されたのは一九九二年ですが、八十四日間で 観客動員数三〇八万九八六六人というベスト・ヒットとなります。これ以降の宮崎作品、『もののけ姫』などからは、観客動員数が一〇〇〇万人をこえるように なりますが、それでも三〇〇万人という数字はアニメというメディアのすさまじい集客力をすでに示していますね。出版の世界ではとても考えられません。この 作品は海外でも上映され、英語版、フランス語版、中国語版、韓国語版などがあり、翌年の一九九三年にはフランス、オートサヴォワ県アヌシーの「国際アニ メーション映画祭」で長篇アニメ賞を受賞しています。
サン=テクジュペリのこと
ところで、この『紅の豚』という作品には、宮崎が二十代のころに愛読し、その生き方まで影響をうけたというアントワーヌ・ド・サン=テクジュペリ(Antoine de Saint-Exupry、通称サンテックス)とのかかわりがあります。
簡単に話しますと、サンテックスは一九〇〇年生まれのフランスの作家で、日本では『星の王子さま』でとても有名ですから皆さんも一度は聞いたことがあると思います。一九二一年、サンテックスは兵役でパイロッ トの資格をとりますが、その後も大空への憧れをたち切れずに航空郵便の会社、ラテコエール社(Latécoère)にはいり操縦士になります。そこでパイ ロット仲間となるアンリ・ギヨメ(一九〇二~四〇)、ジャン・メルモーズ(一九〇一~三六)などの勇姿を小説にとどめた作家です。ちなみに、この会社はのちにアエロポスタル社(Aéropostale)、そして、エール・フランス(Air France)に発展してゆきました。
サンテックスは第二次世界大戦にパイロットとして参加しますが、一九四四年、双発の搭乗機P38ライトニングで偵察飛行中に南フランス、マルセーユ沖で消息をたちます。二〇〇〇年になってその残骸が海底から発見され、ドイツ空軍の戦闘機メッサーシュミットBF109によって撃墜されたと言われています。
サン=テクジュペリ
これがごくごく簡単なサンテックスの紹介ですが、どういう作家だったかと言いますと、アンリ・ギヨメに捧げられた『人間の土地』(Terre des hommes、一九三九)からうかがえることは、困難にあえて立ちむかう勇気、自己犠牲をいとわない他者への友愛、人間の絆の重視、人類の能力への信頼、といったものでしょうか。この作品を二十代の宮崎はくりかえし愛読したと語っています。実際、この作品は、当時のフランス文学、いやヨーロッパ文学にただよっていた西欧文明への懐疑的な性格とは一線を画する性格をもっています。
宮崎駿は、NHK制作の『世界・わが心の旅』のなかで、サンテックスによってもたらされたものをこんなふうに語っています。「現代はごくふつうに平凡に人生をまっとうすることが一番素晴らしいと言っているけど、でも本当にそれだけなのかと思うとね、やっぱりサン=テクジュペリの『人間の土地』などを読むとかき立てられて、なんかこのままこの地べたの上で終わってしまっていいのだろうかという気持ちになるんですよね」。
それに続いて、サンテックスは第一次世界大戦を通して 崩壊する西洋文明のなかで最後の貴族的な精神の保持者であったとし(実際、サンテックスは伯爵です)、宮崎自身の言葉として「ぼくらの社会は無理をするな、ストレスを過剰にもつな、穏やかに、家庭的で、円満に生きるということが言われている。でも、自分のもっている能力を一二〇パーセント発揮するような瞬間をもたないと、大した仕事はできない」と小市民的な日常をひとつこえた次元での精神のありかたについて語っています。このことの是非については問いま せんが、『紅の豚』の主人公の振る舞いのなかにも、こうしたややドン・キホーテ的な騎士道の精神、今の軽い言葉でいえば「カッコいい」精神をうかがうことができるはずです。
アニメ『紅の豚』の特徴
さて、『紅の豚』は一見するだけですと、人生を斜めにみるシニカルな中年男の冒険とロマンスという痛快な娯楽アニメにすぎません。しかし、それだけではなく、さまざまな意外な特徴をもった実によくできた作品だと思います。ちょっと列挙してみましょう。
(1)まずはなんといっても美しい映像をあげたいですね。とりわけアドリア海周辺の明るい風景や、町の特徴をよくつかんだミラノの古い界隈の描写はすばらしいと思います。べつに写実的な細密画というわけではないし、また漫画にありがちなひどく単純化された絵でもありません。アクセントを必要とするところでは細部にこだわるという、アニメ独特の強弱法がありますね。たとえば、ジーナの姿が鏡に映るとか、機銃の照準器に機体の前にのっているフィヨの顔が映るとか、芸がこまかいです。
(2)異形の「豚」の顔をした主人公です。長篇アニメではたとえば手塚治虫の『ブラック・ジャック』とか、さいとう・たかをの『ゴルゴ13』 とか、普通ではない異形のものが主人公になるケースがあるように思います。また大長編小説ですが、栗本薫の『グイン・サーガ』でも豹頭の異形が登場しますし、古典ではヴィクトル・ユーゴーの『笑う男』やカフカの『変身』もそうです。こうした異形の存在は、言語学的な用語を借用すれば一種の「異化作用」を見る者の心にもたらすのですね。ふつうの存在ではない妖怪のような異様なものが見る人にある不安をかきたて、そのことで精神を驚かせ活性化するのですね。ここでは豚です。宮崎は本物の豚も好きのようですから……作者の仮面をかぶった分身であったのかもしれません。
(3)「紅の豚」が活躍する時代は、ヨーロッパが第一次 世界大戦から第二次世界大戦にいたる不安定な戦間期で、まさにイギリスの歴史家E・H・カーが「危機の二十年」と呼んだ時代であるということです。サンテックスの『人間の土地』が出版されたのは一九三九年ですが、この年にナチス・ドイツがポーランドに侵攻し、第二次世界大戦がはじまります。この歴史は ヨーロッパ社会のみならず日本もふくめ、世界に大きな変化をうみだした時代でした。あとで詳しく説明したいと思います。
(4)さきほど美しい映像として飛行場面を話しましたが、航空機の歴史のなかでも飛行艇が主役だった時代をくわしく描いていることです。実際、飛行艇同士の空中戦は『紅の豚』のとおり、アドリア海上空でしかおこなわれていないのです。今では、この作品によってはじめて、飛行艇が主役であった時代があったことを知る人も多いのではないでしょうか。欧米と違って、日本ではそれほど飛行機の文化というものは育っていないですからね。
『宮崎駿、日本アニメの巨匠』を書いた著名な日本アニメ研究家イギリス人ヘレン・マッカーシィもまた同じように、とりわけ飛行場面の美しさをこんなふうに高く評価しています。「カーチスと最初の空中戦をする 前、ポルコが太陽光線と雲の影を横切って(ミラノへ)飛ぶ静かな場面は、この時代の今までに映画化されたもののなかで最も美しくまことの飛行表現である」。まったく同感です。飛行機が好きで好きでたまらないという人の映像です。『世界・わが心の旅』で飛行機にのった宮崎の笑顔はまるで子供ですね。
(5)自立した強い女性たちの登場です。この作品では、 ジーナとフィヨですが、ジーナはホテル・アドリアノの経営者ですし、フィヨも若いすぐれた設計技師で、最後にはピッコロ社の社長になります。もちろん宮崎アニメのなかではナウシカ、『もののけ姫』のサン、エボシがそうであるように、むしろ女性たちがこうした重要な、たとえば世界を救うような役割を演じることがあります。社会学でいうところのジェンダー問題として考えるにあたいする、すこぶる興味ぶかい人物設定です。
(6)日本のアニメでは珍しいユーモアたっぷりな台詞の楽しさです。たとえば「飛ばない豚はただの豚」、「飛行艇乗りは女を桟橋の金具ぐらいにしか考えていないんだから」、「スパイなんてのはな、勤勉な奴らのやることさ」などなど、あげれば切りがありませ ん。こうした登場人物のウィットにとんだ会話は、どこかダシール・ハメットの『マルタの鷹』やレイモンド・チャンドラーなどのハードボイルド(固ゆで卵) と言われる探偵小説の台詞とかなり近いものがあるように思います。
このことは豚の容姿についても言えます。映画『カサ・ ブランカ』の主人公役のハンフリー・ボガートがソフト帽にトレンチ(「塹壕」の意味)・コートを着ている姿と瓜二つですね(豚さんの方がおおいに太ってい ますが……)。なかにはテレビ番組の『刑事コジャック』に似ているという人もいるようです。
歴史的背景
以上のような特徴をもった作品ですが、この『紅の豚』 でもっとも重要なのは、(3)で示した現実の歴史との関係だとわたしは思っています。配布した年表資料をみていただくと分かりますが、宮崎の作品では(最 近の『風立ちぬ』は例外)、珍しく歴史的な日付まではっきりしているのです。
ご存知でしょうが、第一次世界大戦(一九一四~一八) は、ドイツ、オーストリア、イタリア(三国同盟)とイギリス、フランス、ロシア(三国協商)との間で戦われた戦争でした。日本は英国と同盟関係にありまし たから、参戦します。そして、一九一九年ヴェルサイユ条約で講和が結ばれますが、実はこの条約そのものがあまりにも敗戦国ドイツにたいして苛烈であったために、後の第二次世界大戦の引金になるわけです。しかも、こうした西欧近代の歴史が、宮崎ならではの航空機の発達史と平行して描かれているのです(これも 『風立ちぬ』と同じ)。
物語の主人公は、第一次世界大戦でイタリア空軍のエー ス・パイロットとして活躍したのですが、その後、豚になってしまったマルコ・パゴット大尉です。作品のなかの会話から、彼は港町ジェノバで一八九三年に生 まれ、三十七歳であることがわかります。そして、賞金稼ぎの豚として活躍する舞台は一九二〇年代末から三〇年代のアドリア海ということになるでしょう。
ここでちょっとエース(As/Ace)という言葉を説明しておきましょう。第一次世界大戦で、はじめ偵察機として使用された飛行機はたちまち機関銃をそなえた戦闘機となり空中戦をはじめますが、フランスでは五機、ドイツ空軍では一〇機撃墜したパイロットをエースと呼び表彰しました。有名なのはドイツ空軍の「赤い男爵」との異名をとったマンフリート・フォン・ リヒトホーヘンで、合計八〇機を撃墜したと言われています。彼をモデルにした最近の映画であるニコライ・ミュラーション監督『レッド・バロン』や、当時の パイロットの姿を描いた六六年のジョン・ギラーミン監督『ブルー・マックス』などがあります。
アドリア海
『紅の豚』関連年譜
(第1次世界大戦〔1914年〕から第2次世界大戦終結〔1945年〕まで)
1893 マルコ、イタリア・ジェノヴァで生まれる。
1910 マルコ、17歳、飛行艇操縦。日韓併合。白樺派。
1913 フィヨ、ミラノ(?)で生まれる。シュナイダー・カップ開始。
1914 セルビア・サラエボでオーストリア皇太子、暗殺される。第1次世界大戦へ。仏総動員令発布。日本、独へ宣戦。飛行機、偵察任務から空中戦へ。 マルコ・パゴット大尉、イタリア空軍で戦う。
1915 アインシュタイン、一般相対性理論発表。カフカ『変身』。
1916 塹壕戦、機関銃、戦車登場。チューリッヒでダダイズム誕生。
1917 仏クレマンソー内閣成立。露革命開始/ロマノフ朝崩壊。
1918 第1次大戦終結。ジーナの初婚の夫ベルニーニ、撃墜さる。
1919 ヴェルサイユ条約調印。米大統領ウッドロー・ウイルソン、調停役をつとめる。
1920 国際連盟成立(League of Nations/Société des Nations)。英語が外交用語として参入。
1921 伊共産党結成。中国共産党結成。魯迅『阿Q正伝』。
1922 伊、ファシスト運動、ムッソリーニ独裁体制確立。
1924 シュルレアリスム宣言(A・ブルトンほか)。
1925 相互不可侵を約束、ロカルノ条約調印。 米カーチスR3C、シュナイダー・カップ優勝(カーチスの搭乗機)。
1926 小説家サン=テクジュペリ、民間郵便飛行会社ラテコエールに入社。
1927 日本金融恐慌。芥川龍之介、自殺。リンドバーグ、大西洋無着陸横断。
1928 ルイス・ブニュエル監督『アンダルシアの犬』。
1929 世界大恐慌。小林多喜二『蟹工船』、コクトー『恐るべき子供たち』。
1930 ロンドン軍縮会議。マジノ線建設開始。ルネ・クレール『パリの空の下』 アドリア海に紅の豚登場。ジーナ、三度目の夫をベンガルで失う。
1931 世界通貨危機。シュナイダー・カップ、英国の三連勝で終わる。
1932 ドイツ・ナチス党第一党となる。5・15事件(犬養首相暗殺)。
1933 日本国際連盟脱退。ヒットラー、独首相就任(翌34年、国家元首)。
1934 仏人民戦線成立。リーフェンシュタール記録映画『意志の勝利』。
1935 サン=テクジュペリ、リビア砂漠に墜落、『星の王子さま』の構想。
1936 レオン・ブルム人民戦線内閣、ヴァカンス成立。スペイン内乱。
1937 独空軍ゲルニカ市空爆、ピカソ『ゲルニカ』。日独伊防共協定。朝日新聞神風号、東京-ロンドン高速飛行記録。J・ルノワール監督『大いなる幻影』
1938 人民戦線崩壊。独でユダヤ人虐殺。サルトル小説『嘔吐』。
1939 独ソ不可侵条約。独、ポーランド侵攻。英仏、独に宣戦。第2次世界大戦勃発。 サン=テクジュペリ『人間の土地』。ヘミングウエイ『誰がために鐘は鳴る』執筆開始。
1941 日本帝国海軍、ハワイ真珠湾奇襲(太平洋戦争勃発)。宮崎駿、生まれる。
1944 サン=テクジュペリ、偵察飛行中に行方不明。パリ解放。神風特攻。
1945 独降伏。大日本帝国降伏。ピッコロ社社長・フィヨ、ジーナを訪問。
二つの歌
さて、こんな背景をもつ作品ですが、オープニングの場面は、アドリア海の小さな無人島の隠れ家で、ポルコ(マルコの通称)がデッキチェアで、顔に映画雑誌をのせて昼寝をしているところですね。かたわらのサイ ドテーブルにはラジオがあり、そこからフランスの歌、「さくらんぼの実る頃」(Le temps des cerises)が流れています。なんとも、のどかな、くつろいだ夏の午後といった風情ですね。この歌は、後にジーナもホテル・アドリアノで歌うのですが、なかなか意味深長な歌なのです。歌詞を読んでみます。
さくらんぼの実る頃
作曲 ジャン=バチスト・クレマン
作詞 アントワーヌ・ルナール
さくらんぼの実る頃を歌うとき
陽気な鶯(うぐいす)やひやかしツグミは
みんな浮かれて大喜び
すてきな娘たちはとんでもない想いにのぼせ
恋する若者は心に太陽を抱きます
さくらんぼの実る頃を歌うとき
ひやかしツグミの囀(さえず)りはますます上手になります
ジャン=バチスト・クレマン Youtube→http://youtu.be/GUjgk1N7728 CM後「さくらんぼの実る頃」を聴けます。
これは一見すると、素朴な恋の歌ですが、別の顔ももっ ているのです。十九世紀の普仏戦争のおり、一八七一年にプロイセン軍に包囲されたパリで市民が立ちあがり、パリ・コミューンといわれる市民、労働者の自治 による革命政府を二カ月ほど維持したときに歌われた歌なのです。この蜂起は無慈悲にフランス政府自身の手によって鎮圧されますが、それを傷む歌でもあるのです。宮崎駿が、この市民の抵抗運動とかかわりのある歌を知らないままに『紅の豚』のオープニングに流したとは思われません。実際、宮崎はインタビュー集 の『宮崎駿 風の帰る場所』のなかで、こう言っています。
「なぜさくらんぼの実る頃っていう歌を使ったかっていったら、それはやっぱり空想社会主義者と言われようとなんだろうと、とにかく一番ピュアに理想が出たのがパリ・コミューンですからね。やっぱりその歌が好きだって豚を出すっていうのは、大体もう決まってるんですよ、それは(笑)」
空想社会主義というのは、マルクス・エンゲルス以前に社会の理想を考え夢みた社会主義のことです。
そして、この「さくらんぼの実る頃」に対応するのが、『紅の豚』のエンディングに流れる、加藤登紀子作詞、作曲による「時には昔の話を」です。
時には昔の話をしようか
通いなれた なじみのあの店
マロニエの並木が窓辺に見えてた
コーヒーを一杯で一日
見えない明日を むやみにさがして
誰もが希望をたくした
ゆれていた時代の熱い風にふかれて
体中で瞬間(とき)を感じた そうだね
この歌には、皆さんは経験していないわけですが、日本 の六〇年代に盛りあがった学生や市民運動の「熱い風にふかれた」時代へのノスタルジーが感じられます。つまり、パリ・コミューンの歌も加藤の歌も、政治的 というほどのはっきりしたメッセージをもっているわけではありませんが、それでも市民、民衆の抵抗という事件をともに暗示しているわけです。
こうした性質をもつ二つの歌がはじめと終わりに流れる というのは偶然であるはずはなく、たんなる冒険とロマンスの楽しい娯楽作品と思わせる『紅の豚』に独特の味を持たせているといってもよいでしょう。H・ マッカーシィは、これらの歌は「過ぎさった夏、若い恋のよろこび、また、ただ生きるという単純な楽しさへのノスタルジックな願望」を歌っていると解釈して いますが、以上に言ったように『紅の豚』全体から見ますと、もうすこし、より時代にかかわったメッセージがふくまれている、というのがわたしの見方です。 『紅の豚』のストーリー展開 そこでこの『紅の豚』のおもな筋立てを見ておきましょう。大体こんなふうに物語は展開しています。このさい言っておきますが、音楽を担当した久石譲の曲も、映像をより効果的にする、すばらしいものだと思います。 (A)ポルコの隠れ家に電話。空賊マンマ・ユート(「ママ、助けて」の意味)を退治する依頼。賞金稼ぎのポルコの発進と活躍。みごと空賊マンマ・ユートを降参させ、強奪したお金の半分と人質をとりもどす。 (B)ポルコの幼なじみのジーナが経営するホテル・アドリアノで、彼女の夫の操縦する機体の残骸がベンガルで見つかったことを知る。ジーナは三度目の結婚に失敗する。 (C)賞金を預けに行ったアドリア海の東岸にのぞむ町ドブロヴニクでは、ファシズムの時代を思わせる旗をかかげた軍事的な行進が見られる。 (D)愛機飛行艇サヴォイアS21(マッキ33を思わせる架空の機体)を修理するためにミラノへ飛ぶ。「悪いがおれは休暇だ。白いシーツと美しい女たち!」とうそぶきながら……。 (E)その途中、空賊の用心棒アメリカ人カーチスのガラガラ蛇R3Cに撃墜され、二日間、ポルコは無人島ですごす羽目になる。そこで「ほどよく痩せたぜ」。 (F)修理に入ったピッコロ社で、十七歳の設計主任フィヨと出会う。 (G)旧戦友フェラーリンのイタリア空軍に戻るようにという誘いをことわる。 (H)秘密警察や空軍の追っ手を逃れてミラノからフィヨを乗せて隠れ家にもどると、空賊に囲まれ、カーチスとのリターン・マッチをする羽目になる。 (I)その前夜、第一次大戦の空戦の回想(豚になる契機?)をフィヨに語る。 (J)フィヨとの結婚かポルコの借金か、を賭け金としてリターン・マッチが行なわれることになる。マンマ・ユートが取り仕切る。 (K)ポルコはなんと賭けに勝ち、歓喜するフィヨにキスされた瞬間、豚から人間に戻ったらしい?(映像なし)。 (L)第二次大戦のあと、ジーナと、いまやピッコロ社社長フィヨはよい友達となり、ハリウッドに戻ったカーチスはときどき手紙をくれる。ポルコはおそらくジーナと暮らす(フィヨ「これは二人だけの秘密」)ことになる? 物語の謎 以上が大まかな筋書きだとすれば、このアニメを貫くもうひとつの重要な謎でありテーマとなっているのは、優秀なパイロットであったマルコ・パゴット大尉がなぜ秘密警察に追われるような賞金稼ぎの無法者、豚になったかということです。この謎は、(G)や(I)の場面で暗示されていますが、主人公の考え方、性格、振る舞いを決定し、この作品をたんなる子供むきの活劇アニメ以上のものにしている何かなのです。ポルコが愛機サヴォイアS21を操って活躍するのは、一九三〇年ごろと推定されますが、まさにイタリアやドイツでファシズムが擡頭したころであり、アメリカから始まった世界恐慌の年でもあります。こうしたことを頭に入れて考えてみましょう。 たとえば、ポルコが空賊マンマ・ユートをやりこめて、ホテル・アドリアノからクロアチア南部の港町ドブロヴニクへゆき、賞金を銀行に預ける場面(C)を思い出してください。銀行員とポルコとのあいだで滑稽な会話があります。 「これで飛行艇のローンは終わりです。愛国債券でもお求めになって民族に貢献されたら?」と持ちかけます。するとポルコが「そういうことはな、人間同士でやんな」と答える場面です。この返答はハードボイルドばりの気のきいた冗談ではすまされない含みがありますね。あきらかに自分は人間からおりた豚で、ファシズムと民族主義(ナショナリズム)が幅をきかせる人間の世界にはかかわらないという言葉でしょうね。つまりパゴット大尉は、あるきっかけから人間であることをやめたのです。そして、その動機は、カーチスとの一騎打ちを翌日にひかえた隠れ家での夜、眠れないフィヨの「なにかお話をして」という求めに応じて、「それは戦争の最後の夏だった」と語りだす、第一次世界大戦の記憶にヒントがあると思われます。 パゴット大尉はその戦争の最後の夏(一九一八)のある日、編隊を組んでアドリア海をイストリア方面に哨戒飛行にでます(I)。ジーナと結婚したばかりのベルニーニも彼の右手を飛んでいます。すると突然、雲間から鉄十字をつけた敵編隊があらわれ、たちまち入り乱れての空中戦となり、敵味方の多くの戦闘艇が火をふいて落ちて行きます。パゴット大尉は敵機に追撃されて逃げまわり疲労困憊し、ふと気がつくと真っ白な雲のなかを飛行艇が勝手に飛んでいます。そして、はるか上空には一筋の雲が流れていて、そこへ向かってベルニーニや他の飛行機も上昇してゆくのです。とても美しいシーンですが、上空の雲は実はパイロットと戦闘艇の墓場だったのです。多くの幼友達や戦友だった「いい奴ら」は皆、文字どおり昇天したのです。それに対してパゴット大尉は「自分はまだ来るなと神に言われたようだった」という回想を最後にもらします。 当時のパイロットたちは貴族階級出身の者がおおく、騎士道が生きていて、国境をこえてエースたちは尊敬しあったものなのです。しかし、第一次世界大戦はそんな旧弊な礼節を吹きとばし、砲撃と機関銃による大虐殺の戦争だったのです。実際、この時代のパイロットたちの寿命は大変みじかく、堀口大学訳『人間の土地』に寄せた宮崎の後書き「空のいけにえ」によれば、「西部戦線の戦闘機乗りの平均寿命は、二週間ほどと当時でも言われていたのである」とあります。空への憧れからパイロットになっても、飛行の歴史、そして、戦闘機乗りの歴史はまさに「死屍累々の歴史」だったのです。
サン=テグジュペリ『人間の土地』 堀口大学訳 こうして多くの戦友を失うという過酷な経験をしたポルコに、戦争や空軍で戦うことへの疑念が生じたとしても当然ではないでしょうか。また、彼は、墜落した敵のパイロットさえ助ける騎士道の精神の持ち主でもあったにもかかわらず、それが今やドン・キホーテのように時代遅れでしかないという自覚も、戦争嫌いになった原因かもしれません。H・マッカーシィは、「忠誠とか、人間性、愛の意味について心の葛藤を解決できないまま、彼は豚になった。イタリアで広がって行くファシズムと同時に、彼は空軍から去って、賞金稼ぎになった」と言っています。穏当な解釈ですが、もうすこし深めてみましょう。 このようにパイロットの戦争体験は過酷なものでしたが、戦争が終わってみると、今度は失業し、曲芸飛行とか郵便飛行、飛行レースの賞金稼ぎになるほかない運命だったのです。そして、ふたたび列強の軍拡競争が始まると、空を飛びたいと思えば、戦友フェラーリンのようにイタリア空軍に参加するしかなかったのです。 こんな時代背景のなかで豚となったパゴット大尉は、映画館でフェラーリン少佐と再会し、空軍に戻るように勧められますが「おれはおれの稼ぎでしか飛ばないよ」とうそぶいてみせます(G)。大戦がおわると、個人技で戦闘機をたくみにあやつるエースの時代は終わりをつげ、むしろ戦術的にも編隊をくんで戦うというほうに向かいましたから、ポルコの居場所はなく、やくざな賞金稼ぎの道しか残されていなかったともいえます。 しかし、もっとも重要な点は、国家というものはつねに個人の才能や技量に目をつけ、国家目的のために個人の能力を回収し利用しようとするということなのです。すでに第一次大戦のころからエースに「ブルー・マックス勲章」を与え、国家的英雄にしたてあげ、戦意高揚の道具にしたことからもわかります。実在のエース、リヒトホーヘンの生涯もそうしたものでした。ですから、ポルコの「おれはおれの稼ぎでしか飛ばないよ」という言葉はそうした体制には雇われないという表明ですね。それに対してより現実的なフェラーリン少佐は、冒険飛行家の時代は終わったと言って、「国家とか民族とか下らないスポンサーを背負って飛ぶしかないんだよ」と苦々しく吐きだします。 それでは国家の要請とあいいれない思想をもったパゴット大尉のような場合、どうすれば自らの思いをまっとうできるのでしょうか? もちろん、個人が国家と戦っても国家の権力には簡単には対抗できません。個人の生殺与奪にかんする法的な権利や実力装置(軍や警察など)をもっているのは国家のほうですから。とりわけ近代の国民国家というものが、外にたいして攻撃性を、内にたいしては抑圧をするという傾向をもっていることは歴史的にみれば常識でしょうし、そもそもすべての権力は個人の自由をゆるさず、全員の「一致協力」「思想統一」を求め、ときには実力でそうした要求を強制することは今でさえ変わっているとは思われないのです。 しかし、国家が私的な最小限の自由にまでも介入してくるような場合、どうすればよいのでしょうか? 窮余の一策として、国家の支配のそとへでて、つまり人間でなくなることで、個人の思想と自由を維持するという消極的な抵抗が選択肢として残るわけです。もちろん現実では人間からおりることなどはできませんが、そこがフィクションのよいところで豚になってしまうという形をとるのです。しかも、自分の意志からというよりは、魔法にかかったように自然に豚に変身したのです。これは一見、逃避的に見え、消極的に見えるかもしれませんが、そこにしか個人の自由を保つ方法がなかったという、孤立したポルコの立場なのです。また同時に、その結果として、人間であることを喪失した孤独な豚という呪いをうけることでもあったのです。パゴット大尉のこの状況は、実際にはとてもきついものではないでしょうか? こうしたポルコに対して、現実を知っているフェラーリン少佐は言います。ポルコは「反国家非協力罪、密出入国罪、頽廃思想、破廉恥で怠惰な豚でいる罪、猥褻物陳列罪」によって訴追されるばかりか、「当局は豚を裁判にかけるつもりはない」と警告するのです。豚にさえ国家はあからさまに手をのばそうとするわけです。このユーモアたっぷりな台詞の場面(G)を聞いて、わたしたちは大笑いしますね。しかし、こうした笑い話のようなことが実際に起こりうることをわたしたちは軍国主義の歴史をとおして知っているのです。ナチス・ドイツでは前衛芸術は禁止され、日本でも戦前、「金髪が燃える」という詩句をかいた詩人西脇順三郎は、特高によって革命を歌ったものだと疑われたのです。 『紅の豚』の面白さの背後に、以上のようにいささか現実ばなれした、ドン・キホーテ的な、しかし、「抵抗」の精神が痛快に描かれていることは見落せません。この娯楽アニメ『紅の豚』では、かならずしもはっきりとした政治的スローガンもイデオロギー的主張もありませんし、そこまではこの作品は求めていないと思います。アドリア海の「自由と放埒の日々」しか求められてはいないのかもしれません。むしろ、それだからこそ、「人間の尊厳」や「自由」といったもっとも大切な思想をこの物語は単純に、ピュアに語っているという点ではとても意味ぶかいと思います。 アメリカの擡頭とシュナイダー・カップ さらに、この時代のヨーロッパで、もうひとつ指摘しなければならないことがあります。それは空賊の用心棒として登場するドナルド・カーチスとアメリカのことです。『紅の豚』には、このアメリカのおおきくなる影というべきものがたくみに演出されています。まず、ポルコの飛行艇を修理するフィヨですが、彼女はアメリカで飛行機の設計を学んできたのです。ここでは先進技術がアメリカ経由になろうとしていたことが暗示されています。また、世界恐慌のこともあって、ポルコが立ちよるアドリア海の島のバーで「アメリカに行かなければならないのは俺たちのほうだ」という出稼ぎや移民にかかわる会話があるように、ヨーロッパの貧しい人々がたくさんアメリカに渡ったのです。ライバルのカーチスもイタリア移民の子孫です。実際、国際政治の舞台でも、第一次世界大戦の講和会議で、西欧諸国にかわって米国の大統領ウッドロー・ウイルソンが調停役をつとめ、外交用語に英語が使われるようになります。カーチスの「大統領になる」といった子供っぽい楽天主義、惚れっぽさなどに表現されるように、アメリカの存在感がましてゆく時代をこの作品はたくみに描いています。太平洋戦争後の日本はどうでしょうか? このように意外にも、『紅の豚』には歴史的な背景がたくみに組みこまれているのですが、もうひとつ航空機の歴史もまたふくまれているのです。ポルコがミラノに愛機の修理、というよりはほとんどエンジンの換装という大修理に行ったおりに、ピッコロ社の親父が、新しいエンジン、フォルゴーレ(イタリア語で「雷電」)を見せながら、「こいつをつんだイタリア艇は、一九二七年のシュナイダー・カップでカーチスに負けた。でもこいつのせいではない。メカニックがヘボだったからだ」(F)と言いはなちます。ここにもアメリカの擡頭という時代背景が指摘できますが、歴史的にはシュナイダー・カップでカーチス社のR3C―2が優勝したのは一九二七年ではなく、一九二五年です。後に初の東京空襲を指揮したアメリカ人ジミー・ドゥリトルがのった同機が時速三七四キロメートルで優勝したのです。『紅の豚』に登場するカーチスののる紺色の機体はこのR3C―2をモデルにしたもので、機銃をそなえた戦闘艇に変えられています。 ここで話題となっているシュナイダー・カップというのは一九一三年にモナコで始まり、一九三一年に終わった、実際にあった飛行艇のスピード・レースなのです。イタリア、イギリス、フランス、アメリカなどが参加しました。五年間におなじ国が三回勝利した場合には、このレースは終わりにするきまりでした。これをついに成しとげたのは、後に第二次世界大戦で英国防衛(バトル・オブ・ブリテン)に活躍するスピットファイア機の生みの親、レジナルド・ジョセフ・ミッチェルの設計によるスーパーマリンS機で、一九二七~三一年の隔年開催のあいだに連続三回優勝して、シュナイダー・カップは永久に英国のものとなります。付け加えておきますと、この設計者を主人公にし、シュナイダー・カップの歴史をおりこんだ映画『スピットファイア』(一九四二)がレスリー・ハワード監督によって作られています。
シュナイダー・カップのカーチス社R3C―2 このように滑走路の制限のない飛行艇は、航空機の発達初期をかざるレーサーでもあったのです。ということは、ポルコとカーチスの一騎打ちはこのシュナイダー・カップのもじり、あるいはパロディとして見てもよいのではないでしょうか。国家というものを背負っていない個人同士の競争ではありますが……。 『紅の豚』の終盤(K)では、ポルコとカーチスの大空中戦が「地中海のゴミどもが集まった」お祭りさわぎのなかでくり広げられますが、ここでも見せ場がありますね。こうした空中戦をドッグ・ファイトと呼びますが、太陽を背にして敵機の背後をとることがドイツ空軍のエース、ベルケ以来の大切な戦術なのです。また、この戦闘場面のなかで、「左捻りこみ」という言葉がでてきますが、これはゼロ戦が軽快な上昇力と小さい回転半径を利用して、相手に後方を取られてもすぐに後方の位置をとりかえす技だと言われたものです。まあ、宮崎監督は本当に飛行機が大好きなのですね。 しかし、この大空中戦の場面で、カーチスとことなり、ポルコは有利なポジションをとったときにもカーチスを狙って銃撃しません。つまり、戦争はしない、殺し合いはしない、という自己の信念を守るのです。結果的には、幸いにも滑稽にも、二機とも機関銃の弾切れと故障のために空から降りてきて、海のなかでボクシングの一騎打ちをつづけるわけです。そこでの二人の罵りあいは実に爆笑ものですね。ポルコがカーチスにむかって「おまえは牛の国に帰れ!」といかにもアメリカへの対抗心を見せるところなど、お笑いですね。ポルコはフィヨをカーチスにやるまいと奮闘し、カーチスはポルコに、二人の女性をとるなと、ジーナが「秘密の花園で」待っていること、惚れていることを告げるわけです。このドタバタ喜劇のおかしさは、まるでいつまでたっても男性の子供っぽいバカさ加減をみごとに描いた点にあります。 実は『紅の豚』には空賊をふくめて、本当の悪人、本当の絶望というものはないと言ってもよいでしょう。空賊マンマ・ユートが人質にとった水泳教室の女の子たちをどう扱ったかや(A)、今、指摘したようなポルコやカーチスの振る舞いには、最後には人間にたいする愛や尊敬の念がありますね。決闘の最後に、空賊の親分は「豚はきらいだが、あんたは好きだ」といって賞金をポルコに渡す場面(K)などにそれがよく表れていますね。こんなアドリア海の太陽のような明朗さが多くの観客の心を温め、この作品を受け入れやすくしたのでしょう。 女性の登場人物、フィヨとジーナ たしかにポルコは豚になりましたが、たんなる無法者ではないし、カーチスも悪人ではありません。「海と空に心を洗われた」空賊もポルコの戦友たちも、みないい奴らです。『紅の豚』はそうした男同士の、つよい連帯と友愛、誇りの鍔つば迫ぜりあいの物語と見えると思います。 ところが、男たちが子供っぽい力くらべをしている一方で、ピッコロ社の勤勉な働き手のように、「堅気」の世界をしっかり担っている女性たちを宮崎は描いていますね。しかも、その女性たちは「堅気」の世界をただ受身で支えているのではなく、後の作品の『もののけ姫』でも同じですが、自ら積極的に参加し動かしてもいるのです。この話のはじめの特徴(5)で触れておきましたが、人間の肯定的な部分を支えているのは実は女性たちだということを最後に指摘したいのです。 たとえば、フィヨははじめピッコロ社の若いアメリカ帰りの設計主任として登場しますね。そこでポルコは、女性であるフィヨが飛行艇を修理すると聞いて仰天し、別の工場でなおす、と言いだします。この時点のポルコは、若い女性の能力にたいする不信ではないけれども、ある不安を感じる、ごく普通の中年男です。それに反して、ピッコロ親父の態度はみごとなものです。はじめから孫のフィヨの能力を疑っていないのです。 ポルコのこの態度は、フィヨも「当然ね」と認めるていどのごくありきたりの反応で、偏見とまでは言えないと思いますが、それでもよく世間でありがちな女性にたいする男性(とりわけ日本人男性?)の見方ですね。 しかし、フィヨの徹夜もいとわない献身的な仕事ぶりにポルコはしだいに彼女の能力と人柄を認めてゆきます。「お嬢さん、徹夜はするな。睡眠不足はいい仕事の敵だ。それに美容にもよくねえ」と忠告するときのポルコは、仕事の面では男性も女性もないという考えに傾きながら、他方ではフィヨをまだ女の子として忠告しているユーモラスな台詞です。ところが、しだいに技師としての能力だけではなくて、フィヨの現実に対する言動から、中年男のポルコのほうがかえって大きな影響を受けることになるのです。 これがもっとも感動的に描かれたのは、空賊たちに取りかこまれて、カーチスとの決闘が決まったあとの場面(H)です。ポルコは、こんな予期しない事態を招いたとんでもない娘だ、と一旦は怒るのですが、考えてみるとフィヨがリターン・マッチというチャンスをくれたことに気づいて、ポルコのほうから和解の手をさしだすところです。ここではじめて、年代のちがいをこえて二人が運命共同体であることを確認するのです。「わたし、ポルコを信じているから」というフィヨの言葉に、「信じるか? 大嫌いな言葉だが、おまえが言うとちがって聞こえてくるぜ」と返答しますね。さらに、その夜、戦争を回想する場面のあとに、「おまえはいい子だ、フィヨを見ているとな、人間も捨てたもんじゃないと思えてくる」というような台詞にみられるポルコの心境の変化です。また、天衣無縫なフィヨは、おそらく何を言っているかまだ本当には理解しないままに、ポルコが好きだと口走ったりします。 こうした人生に幻滅した中年男と十七歳の女性との、一見ロリータ・コンプレックスといわれるような関係については、制作過程で議論があったようです。しかし、『紅の豚』を見るかぎり、ポルコのほうにも、フィヨのほうにも、年齢をこえた人間としての心の交流、連帯というひとつの理想あるいは夢として描かれているようにわたしには見えます。 これは、人間世界の愚かさに匙さじをなげて豚になったポルコに、人間としてふたたび生きる希望の光をフィヨから与えられたということですね。人生には厭世的になりかねない経験のほうが圧倒的に多いことを知った中年男にとって、希望や理想などというものは照れくさくなるようなものでしょう。ところが、フィヨは、人生経験がすくないだけに、人生も人間もともに素晴らしいと見える新鮮な命があるのですね。フィヨの一途な無邪気さが、ポルコのひからびてシニカルな心を温め、失望から救ったのです。つまり、人間同士の信頼と愛によって、ポルコとフィヨは「パートナー」となって、カーチスとの決闘で全力をつくすことになります。 最後に、この作品に登場するもう一人の重要な女性、ジーナについてお話ししておかなければなりません。ジーナはポルコの幼友達で、年齢も三十代のなかばと推定できますが、フィヨとちがって大人の考え方のできる、多才な女性です。経営者でありながら、ときにホテルで「さくらんぼの実る頃」を自ら歌い(この場面は『帰らざる河』のマリリン・モンローを彷彿とさせますが……)、同時に空賊の争いを治める力を、しかも優しく治める力をもった、この作品のなかでただ一人、争いではなく平和をもたらすことのできる登場人物として描かれています。ポルコとカーチスが一対一のバカ騒ぎをしている間にも、フェラーリン少佐からのモールス信号でイタリア空軍出動の知らせをうけて、争いをやめさせようと急行するのもジーナです。 しかし、同時にジーナの三度の結婚はすべて伴侶の死によって終わるという悲しみを経験している女性です(B)。一人はベルニーニで戦争によって、一人は大西洋で(ジャン・メルモーズのように)、一人はベンガルの奥地で失ったのです。おそらく感情の深さや恋や愛の機微のわかる大人なのですね。そのことは秘密の庭でのカーチスとの愉快な会話のなかにも見られます。カーチスが一緒にハリウッドへ行こうと誘う話に、 「ここではあなたのお国より人生がもうちょっと複雑なの」と答え、アメリカ人的な単純な楽天主義にたいしてヨーロッパ的な長い経験からくる人生の機微を示唆しているようにみえます。そして「恋だったらいつでもできるけど……」という台詞に、ジーナはもはや一時的なものではなく、人生のよきパートナーとしてのポルコをひそかに待っていることがわかります。彼女は賢い女性なのです。 ポルコとカーチスの決闘に結着がついて、空軍の出動を知らせにきたジーナのおかげで、「地中海のゴミども」は無事退散するのですが、そのとき、「おまえはジーナの舟にのるんだ」とポルコはフィヨをジーナの飛行艇に乗せようとし、続けて「ジーナ、こいつを堅気の世界にもどしてやってくれ」と言います。すると「ずるい人、いつもそうするのね」とジーナは答えます。 これはいつまでたっても昼間に、つまり堅気の世界に姿を現わさないポルコへの非難なのですが、同時に、ポルコの生き方を理解した言葉でもあると思われます。なぜなら、ポルコは「すまねえ、行ってくれ」と答えますね。二人は、本当は心から尊敬しあっているのですが、同時にそれぞれの生き方を認めあったうえで向かい合うという、成熟した間柄のように見えます。こうした意味で、ジーナはポルコを許容する広い心をもった女性で、世界の安寧をささえている人物なのです。もしかしたらジーナの若い分身がフィヨであるかもしれませんね。 大団円? 豚は人間に戻る? 『紅の豚』の最後のシーン(L)は、第二次世界大戦後、小型ジェット機に乗ったピッコロ社社長フィヨがホテル・アドリアノへ休暇に飛んでゆくところですね。航空機はジェット・エンジンの時代になっているのです。 そこでフィヨの声で、あの大騒ぎがあり、いくつかの戦争があった後、ジーナさんはますます美しくなり、カーチスは大統領にはなっていないけれども、ハリウッドで俳優をしているというナレーションが入り、ジーナとポルコがどうなったかは「わたしたちの秘密」と言って、この痛快な『紅の豚』の物語は終わります。 では、ジーナとポルコはどうなったのでしょうか。ちょっと思い出してみましょう。ジーナの飛行艇がポルコとカーチスの決闘の行なわれた海から出発する直前、ジーナの飛行艇に乗せられたフィヨはポルコにかるいキスをするのですね。すると次の瞬間、カーチスがポルコを見て「顔が!……」と言います。つまり、映像にはないのですが、ポルコの顔が人間にもどったことを暗示しています。さらに、これも映像では瞬間的にしか見えないのですが、ホテル・アドリアノの、ジーナの庭の突堤に赤いサヴォイアS21が繫留されているのが見えるのです。物語の結末はわざと曖昧に残されたままですが、おそらくこのお話は、めでたし、めでたし、で終わったのだろうと推測されます。そして、わたしの話もようやく終わりに近づいてきました。 おわりに 『紅の豚』という作品は、表面的に見ればポップ・カルチャーに属する、たいへんよくできた、一匹の豚となったエース・パイロットの冒険とロマンスの娯楽アニメです。子供にはすこし難しいですが、とてもわかりやすく、粋でユーモアたっぷりな台詞がつづく、まさに「カッコいい」、とくに男性の心をくすぐる作品ですね。また、舞台がアドリア海やイタリアということもあって、日本の観客はエキゾチックな南欧の風景を見ることができます。ここには宮崎駿の大好きな世界があり、その好きの楽しさが観客にも伝わってきますね。この作品には劇的な大団円のようなものはないにもかかわらず、わたしなどは気分が落ちこんだときにみると、つい心ならずも笑ってしまい、鬱から解放されて爽やかなカタルシス(浄化作用)を感じてしまいます。 しかし、同時に、この作品は比喩的にいえば二重底の作品で、今まで話してきましたように、二十世紀の歴史にかかわる大切ないくつかのテーマを暗にふくんでいるわけです。極端な国家主義や民族主義が二十世紀の歴史にどれほどの悲惨をもたらしたか、そこでの個人はヘーゲルのいう「路傍で踏みつぶされる花」でしかなかったこと、そして、そうならないために個人の自由のあり方を考えた作品でもあると思います。そして、航空機の歴史です。もちろん宮崎監督に聞いてみなければわからないことですが、以上のことはかならずしもわたしの行きすぎた解釈であるとは思えないのです。率直にいえば、わたしはこの作品から、希望とはなにかを教えられたように思います。 皆さんも、現代文明の、とほうもなく管理され、監視された社会のなかで生きているわけですから、それにくたびれたときは、『紅の豚』をみて大いに笑ってください。そうすると「若き日に夢見たこと、若き日の自由をしっかり思い出しなさい! きみの夢を奪う暗い力に気をつけなさい!」とポルコが囁ささやいてくれるはずです。 長いあいだのご清聴、ありがとうござました。 *本稿は、二〇一二年五月二十五日、神田外語大学多言語コミュニケーションセンター(MULC)で行なった講演を修正、加筆した。この講演録の初出は「神田外語大学日本研究所紀要 第六号」(二〇一四年)である。 * * * ◎井上輝夫(いのうえ てるお) 1940年生まれ。詩人。慶應義塾大学名誉教授。現在安曇野に在住。ニース大学で博士号取得。詩集『旅の薔薇窓』『夢と抒情と』『秋に捧げる十五の盃』『冬 ふみわけて』等。評論『ボードレールと陶酔の詩学』。紀行文『聖シメオンの木菟』『詩想の泉をもとめて』(詩人クラブ詩界賞受賞)。翻訳など多数。 ◎midnight press WEB掲載バックナンバー ・長編詩「青い水の哀歌」 midnight press WEB 第九号九頁 http://www.midnightpress.co.jp/mpweb-9.pdf ・小詩集「安曇野」 midnight press WEB 第三号七頁 http://www.midnightpress.co.jp/mpweb-3.pdf ・「ポール・ヴァレリーの影を見ながら―詩集『コロナ/コロニラ』に触れて」midnight press WEB 第四号四頁 http://www.midnightpress.co.jp/mpweb-4










