ドーナッツ 言いたいことを全部言うたらあきません。言いたくてたまらないところが歌をだめにしてしまうんです。 ドーナッツみたいに真ん中をあけて作るのがよろし。 つい言いすぎてしまう。でも言いすぎると疲れるでしょう。読むほうもしんどくなる。 おちをつけない。エッセイでもおちをつけると面白くない。言いたいことを着地で決めようとする結句病に注意。言いさしで結構。あとは読者に任せる。 事実だけで面白い。作者の感想はいりません。 一番言いたいことを言わない。言いたいことを言わず、ドーナツの穴のように、あけておくのです。そうすると意味が後からついてきてくれます。歌のリズムの力でしょうね。 短歌らしく作らない 短歌らしくうまく作らない。 不特定多数にすりよらない。サービスすると品が悪くなるのです。愛想悪く作るべし。 材料を揃えすぎてもいけません。あまり揃えすぎると訴える力がかえって弱くなります。 表現する時は最大限に自己を解放すべし。とにかく全開するんです。 頭で作ったらあきません。自分の身体を通した言葉で作るのです。 多作・駄作のすすめ たくさん作ること。量が質に転化します。一年に千首くらい、歌のできばえは気にせんと、ばーっと作るんです。作っているうちに言葉が言葉を引っぱってくるようになったら、しめたもの。 一首必要なときは十首作る。 締め切りに追われながら凡作でも駄作でも、絞り出すように作るんです。 完成作を作らんでもよろしいのです。ええ歌を作ろうとか思わんとたくさん作って読んでもらうことです。自分の歌の良し悪しは自分でわからない。他人の歌はわかるのに。 歌は20点か120点を心がけること。85点や90点の歌ばかり作っているのは、ただの優等生で面白うない。 いい歌ばかりを集めた歌集は退屈で面白くない。いい歌が隣のいい歌をつまらなく見せるという歌集特有の力学が働きます。いい歌の間にさりげない歌を息抜きのように置いてみる。すると歌が互いに引き立て合い、立ちあがってくるのです。 大歌人は駄作の山のなかにときどきいい歌が混じっているから光っている。大歌人ほど駄作が多いというのはほんとうのことなのです。 良い歌も悪い歌も一蓮托生。 言葉から テーマを先行させてはあきません。歌は意味から作るのではなくて言葉から作るのです。 事実につきすぎると事実からずれてしまう。実際かどうかは別問題。 言葉のひきだしをたくさん持つ。表現力を身につけて、言葉の数を増やさなければ複雑な気持ちを表現することはできません。 言葉を貯えることと、言葉をうまく使えることは別。 自分でさえ気がつかないことを、作者が思った以上に、定型は表現してくれます。 ありようだけを言う・・・それも3分の1ぐらい。あとは定型が表現してくれます。 エッセーは過去形に強い。短歌は過去形に弱い。大きいことにも弱い。未来形にも弱い。 直感が勝負 最初に感じたものを思いきって自分の感覚で。 短歌は答案と同じで、直したらたいていあきません。一番はじめに書いたのが、直感的に物事をとらえていて、はじめの方がよろし。 現実から歌を作るだけでなく、表現で現実を踏み渡ることも必要です。それが勢いであり、表現の力です。勢いのある時の歌は、勝手に定型から出てしまいよります。若いときはそれが出来ます。年齢を重ねると、それがけばけばしくて身にそぐわなくなることが多いけどね。 読むこと 誰か一人の歌人に惚れて惚れて惚れこんでください。一冊の歌集を読みたおしてください。自分の頭で考えられることは知れています。どんどん盗んでください。 歌集は買って読む。自分で買った本は身につくんですよ。 歌は言葉に即して読む。思い込みや先入観で読まない。 深読みと深く読むのとは違う。 続けること・その他 (新入会員に)三年は座っていてくださいませ。三年間は辛抱してください。 欠詠をしないという、場の強制力を常に意識していないと歌はたちまちタガがゆるんでくる。 歌を作ることが歌を作ること。からっぽだから、なにも無いから詠う。あるから詠うのではないのです。 年を取ると感受性が鈍くなるか?否。言葉への瞬発力が弱くなるだけです。 歌会について いい歌を作る人がいい批評をするとは限らない。自意識と見栄のせいかな。ええかっこした賢そうな批評はあきません。聞くほどに、こんがらがって訳が分からなくなる。まず、発言している本人が自分の言っていることが分からなくなっているんじゃないですか。 分からん歌は分からんと言えばよろし。あ、この歌のこの言葉がいいですねと一言言えば分かる人は分かってくれる。 流行りの歌に右顧左眄するべからず。生肉は腐りやすいと心得るべし。 歌会で私語をする人は、たいていロクな歌しか作りません。 とんでもない見当外れの批評をする人がいますが、それもコミでの歌会。自分の歌のうまさばかり考え目立とうとし、歌の下手な人をばかにする人は、まず自分が伸びません。そんな人がいる歌会はうんざり。もうかないません。 ちょっと歌壇に出たからと言って、偉くなったと思うのは大間違い。何かのもののはずみで名が出た、と思っておかないと有名病の副作用で人生を狂わしてしまう。 入門書について 入門書を読むのは三年ほど経って、少しは歌が分かってから読んだ方がいい。初学の時に読むと構えてガチガチになってしまうから。 歌集について 可能ならば歌集を出すと、自分の人生が見えてきて自信が付きます。歌集を踏み台にして、次のステップに跳ぶべし。 墓石は無くなっちゃうけど、ことばは歌は残りますものね。孫子の誰かが読んでくれたら本望。 歌集は借りて読んでも身につきません。少々高くてもお金を出して買う。ああ、この歌集つまらんと思う悔しさが身につくのも身銭を切っているから、それもオマケと思って。 歌集を出した人は、著者の気持ちが分かるから丁寧に読んでくださる。著者と読者が家族以上に分かり合えるきっかけになることもあるのです。 ただし、歌集の反響を過度に期待するのは無用。誰だって雑用に追われて葉書一枚の礼状がなかなか書けませんもの。 雑感 歌は作るより読むほうが、はるかに難しいと言うこと 表現手段を持っている者がいちばん強い 出所不詳(2005年作成のメモ) リフレインはリズムを作って意味を消す 気持ちはあるけれど表現のないものは気分だけになる 気分の歌を作るときは細部を描写する 自然詠は見たものを再現するのではなく、作っていくときに言葉によって見えてくるものを歌にする 健やかであること、は大事なこと 何も起こらないところから歌を作るのが面白く又味が出ます。何かが起こって作る歌はどうしても意味が先に出て歌としてのよさが出にくいのです。 短歌現代(1988年7月号)より <短歌は、見てくれほどたやすい詩型ではない> 素人選者は困る 実作者として、ひとつ言っておきたいのは、歌の微妙な良さは、そう簡単に誰にでもすぐにわかるものではないということである。実作を続けていなければ、表現の前線に常に居なければつかめない、短歌のことばの息づかいというものがある。歌を自分で作っていない人は、歌を、意味とか、意匠の珍しさとか、ことば面の斬新さといった目に見えやすいところで、評価しがちだということ。 出所不明 「犬は人を遠慮がちに見る、猫ちゃんは人をじーっと見つめる」 メモより 短い定型ですが、表現したものが、ゴムで弾かれたように跳躍力をもち、遠くへ飛んでゆく。その飛んでいった方へ、自らが引っ張られてゆく 自分の言葉で平明に歌うこと 短い詩形のなかに多くのことを入れると断片的になる 言葉の置きかた、言葉の質感、言葉は思いきって使おう。 牽引力のある言葉を使おう 描写する力を結句まで持続すること 情をいれてはいけない 一冊の歌集をよみたおすこと 結果から歌を作ってはいけない、現場から、細部から歌うこと 現場のある一点だけを注目して歌うこと 用意した言葉で歌ってはダメ
http://greenflash.private.coocan.jp/tanka-page/words/about_kawano.html














