その日はゲストハウスで泊まっていた夫婦の方からパンとコーヒーをもらい、これからの予定をぼーっと立てるところからはじまった。
目の前のカベには黒板になっていて、これまで泊まったであろうゲストの方のお勧め京都スポットから地元infoまで、縦横無尽に書き綴られている。
この後の予定と言えばみずのき美術館で行われる菊池敦己さんと大原大次郎さん、須山悠里さんお三方のトークだけで、しかも15時からということで中途半端に身動きがとれない。とりあえず歩いてみるか…と思いながら引き寄せられる電波の先には細美美術館。開催中の展示は「杉浦非水-モダンデザインの先駆者-」。
美大時代に同氏の作品、というか大正・昭和のモダンデザインに憧れて作品を知ったつもりでいたが、実際のサイズ感や印刷物として刷られているもの、時間の蓄積によって生じたカスレ・ヨレ・イタミを目の前に、ふつふつと感動があふれてくる。
何より杉浦非水自身が旅の導入でまとめていた旅日記の綺麗さたるや!日頃のアウトプットの反射神経は日常から反映されていることを知った。そして初期の作風はアール・ヌーヴォー様式からの図案サンプリングがちらほら。模倣から個の模様へ、まねぶからまなぶを体現している素晴らしいデザイナーと知る。
その後は古道具屋やオススメされた空間をまわりながら、京都市役所駅から亀岡駅までひとっ飛び。トーク会場へ駆け込むと既にはじまっていた。みずのき美術館でメモした会話内容は画像参照。
(…というのも、正直ここでのトークも他で起きるよくあるアレでして。目の前の言葉に対して情報を拾いきれない自分のせいでは?とツッコミ入ればそこまでですが、エディターとして2年間ほど働くなかで、同じ意味でも面白い言葉とつまらない言葉があることに気がついた。
言葉の鮮度、というか、いちど頭のなかに表れた言葉をどう保存しているのか。そしてその言葉をどう解凍して提供するのか。言葉に伴った段階を丁寧に踏まないと、味もおいしくないことが本当にあって、オーディエンスが多ければ多いほどそうした味付けは無難(=おいしくない味付け)になるように感じる。
…と物思いにふけるなか、色濃く残っているのは最後に女性の方からでた質問。
「凧に描かれた絵はプリントであって、実際の原画がとぶかと思っていました。だからとぶ絵という表現には違和感みたいなものがあった」
凧が空高く上がるためには凧の面に対してインクをなるべくフラットにのせることが優先されるはず。そのため、絵師さんもイメージを定着させる方法と言えば水彩や木版画が王道となる。それを踏まえた上で凧とグラフィックは相性がいいし、絵=図版という認識で見れば違和感はない。
ただ、違和感を感じることもたしかにわかる。なんとなく笑って流れてしまっていたが、デザインの話や知識、業界話の美味しさよりも、一人の女性が抱えた疑問の鮮度の方がはるかに後味スッキリで印象に残っていた。(のちほどわかったのは、その彼女も京都系の美大に通っているとのこと!)
トークが終わってからの飲み会は、記録はあるが記憶はない。ので省略。唯一の凄みは、三人とも一切トーンダウンすることなく1時過ぎまで弾丸トークを繰り広げていたこと。スタミナ半端ない!













