遠藤淑子
好きなる絵師のことを人に問はれて、名を言ひたる後に、
されど、絵はさほど好みならず、など言ひ添へたくなる人あり。
いと失礼なることなれど、まことなれば、せむかたなし。
幼きころは、戯れ絵に物語を描く絵師といふもの、目もあやなる美しき絵、細やかに描き込みたる絵など描く人のみ、なれるものと思ひたり。
遠藤淑子なる人の描きたるものを初めて見し時、
かかる絵にても絵師となるものか、と驚きしこそ、今思へば、いと恐ろし。
しかるに、この人、四十年ばかり経たる今も、絵姿のさのみ変はらぬこそ、また驚かるれ。
昔のものも今のものも、同じ心地にて読まるるは、ありがたきことなり。
ある話に、掃除に使ひし桶の水をかぶりたる草あり。
いかなることのありけむ、もの言ひ、歩くものとなりて、水をかけし娘のもとへ恩返しに来たる。
娘の心弱りたるを見て、一歩ばかり進めと言ふ。
手も動き、足も動くものを、何事かできざらむ、と励ますなり。
人の言ふならば、さもありなむ。
されど、これを言ふは草なり。
根を張りて、もとより一歩も歩かぬ草の、人に一歩進めと言ふこそ、いみじう心にしみてをかしけれ。
また、財を得むとて翁に嫁ぎし女あり。
もとはその家に仕へし女房なりしが、翁亡くなりて後、家のあるじとなりぬ。
翁には、養ひ子となしたる男もあり。もとより家のことども取り行ひて、万づに抜け目なき者なり。
かく聞けば、財をめぐりて争ひなど起こりぬべきものを、さることはなし。
女あるじ、いささか頼りなく、男これを見ては物申し、世話を焼く。
女、言ひ負かされむとすれば、たちまち親の顔して、我はそなたの母ぞ、など言ふ。
年もさほど違はぬ二人の、かく親子めきて争ふこそ、をかしけれ。
笑ひたる折に、思ひがけず心にとどまる言葉の出づるもの。
大げさにも言はず、教へむともせず、ふと言ひたることの、後々まで忘れられぬこそ、よけれ。
悪人の、悪人になりきらぬもの。
人をののしらむとすれど、童のいさかひほどにて尽きぬる。
憎しと思はむとすれど、つひ笑はるるこそ、をかしけれ。
遠藤淑子の描くものには、かかる人の多し。
絵姿の四十年ばかり変はらぬも、をかし。
その絵を、四十年ばかり飽かず見たる我も、またをかし。
されどやはり、絵はさほど好みならず、と人には言ひ添へたくなるなり。
これはただ、ことのはじるなり。
元のすぅぷ、別巻にあり。
「好きな漫画家」として遠藤淑子の名を挙げる時、大体その後に、「絵はそれほど好みではないけれどね」と、言い訳のようにつけたしたくなる。 私が遠藤淑子と出会ったのは小学生の頃だった。当時清水玲子や由貴香織里のように綺麗な絵や、佐々木倫子のように緻密な絵が描ける人が漫画家になれるんだ









