好きな子、書道歴が長くて、今は教室には通っていないけど、好きな曲の歌詞を万年筆で書いた作品をインスタに投稿している。自慢にしたいのは、私が彼女に万年筆とインクを贈ったことから字書き投稿が始まった、というエピソードの存在である。好きな子は本当に字が綺麗で、好きなところのひとつだ。私は彼女のこと、「昼下がりの静かな部屋に流れ込んだそよ風」だと思ってて、これはもうずっと変わらない印象なんだ、彼女の字もそんな雰囲気を持っていると思う。だから、彼女が作品を書くことは全く同じ彼女自身を新たに書き出しているようなもので、同じ自分を放っているということは特に意識する訳でもない呼吸のようなもので、それってつまり彼女自身が作品みたいなものなのではないかって、思うんだ。本当に、好きな子のこと買い被りすぎなんじゃないか脚色しすぎなんじゃないかって思う、本当の君を見ていないのかもしれない、ごめん。
癖はそんなになくて、楷書をちょっとだけ柔らかくした感じの書体。フォントで言うと游明朝なんだけど、Word使ってレポート作る程度しかフォント知らないから、もっといい例えがあるかも知れない。それを更に崩して書いた、普段字っぽいのをストーリーに上げてて、それも素敵。贈り物につけてくれた手紙、宝物過ぎて見返せないし触れられない、良くないよね大事にしないと。
ここ2.3日、仕事中ふと、曇り空を思い浮かべて泣きたくなる。雨が降るかもしれないけどそうでも無いような曇り空が好きだ、多分今日は降らないから段々晴れていくだろうねって感じの空。そんな空の時は音が少ないように思う。そういう日は何となく外に出ている人が少ないというのもあるが、曇りの日は無機物からの刺激が落ちるような気がする、というのが一番の理由だ。晴れの日、太陽が世を照らし輝きに満ちる、光る窓ガラスが、乾いたアスファルトが、そびえ立つ建物が、笑いあう人々が、色と存在を増してくる。それらは視界の中を大きく占領し、こちらに覆い被さるようにアピールをしてくる。一方で、曇りの日はそのアピールの力がグンと落ち、ほぼ無に近くなる。何となく空気が白っぽく、灰色っぽくなる(雲の反射のせいかな、合ってるかな)。薄霧を張ったような外の世界は、全てが一体化してしまって、なんだか落ち着いていて寂しげだ。無機物の露出が無くなると、外での人の音は交錯して混じらないものであると分かる。無機物は自分以外のもの全部に存在を訴えてくるけど、人は自分の世界にだけ存在を訴えている。私をすり抜ける音の中にいるのは、音のない世界にいるのと同じではないか。音のない世界は音が響かない、狭い面積にしか私のいた形跡は残せないのに世界はこんなにも広い、さらにその外に果てしなく続いている宇宙、そのまた先に何があるのかとか、そんなこと考えると喉がきゅうと締まる気がする。自分以外が一体化する曇りの日は、否応なしに「一体化した世界」の存在を感じてしまうから特に考えてしまうのだと思う。自分と世界のみ存在しているのだ。部屋に知らない人と2人きりだと好き嫌い関係なく意識してしまうものだ。でかい、でかすぎるよ世界、でかすぎるよ。
自分と世界しか存在しない視界でも、好きな子は小さくどこかにいて、どこかは分からないけど今なにかをしていて、生きていて、生活をしているはずだ。つまりこの世には私と世界と好きな子の3つが存在することになる、泣くね、だって果てしない世界のどこかに好きな子がいて、それ以外は無で、私がここにいて、って、会いたくなるに決まってる。そんで早く(好きだ!)って言いたくなるんだ、しかしここで問題になるのが、私の自己肯定感の低さ、美目の悪さ、歪んだ性格、不得手な会話、不器用な思考、怠惰に次ぐ怠惰、そんなとこ。早く君に会いたいけど、会えないなこんな汚い私じゃ。可愛くなって綺麗になって、それから会いたい、あー怠惰、愛しい怠惰、早くくたばっちまえ。
好きな子のプライベートのこと、そんなに知らないんだよな、今日何をしたって会話することがないから、実のところ彼女の生き方は全く分からない。どのタイミングで話すんだろうって悶々考えながら、結局音楽とか共通の推しの話しかしない。会話って難しい。友好関係も恋愛事情も知らないから、もしかしたらあたし以外の親友が沢山いるのかもしれないし、その中であたしは最下位くらいの扱いかもしれないし、もしかしたら親以外でのファーストキスを済ませたかもしれないし、もしかしたら既に恋人がいるかもしれないし、乱れた性生活を送っているかもしれない。今挙げたことがもし本当だったら、寂しい、でも、彼女の生き方なのでどうにも出来ないよなぁって、考える。考えても意味の無いことを考えているので、頭が悪いな自分。
思考が分からないし延々答えのないことをループで考えているのでもう書けない。終わり。