桃太郎がなぜアルゴナウタイなどのヒーローズジャーニーの物語類型に沿ってるかというと、「単一神話で、ギリシアと日本で偶然に似た」というより、桃太郎は明治期の西洋文化の影響で整理されたからかも。 - - - - - - - - - - - - - - - - 巖谷小波 - Wikipedia
巖谷 小波(いわや さざなみ、1870年7月4日(明治3年6月6日) - 1933年(昭和8年)9月5日)は、明治から大正にかけての作家、児童文学者、口演童話家、俳人[1]、ドイツ文学者、ジャーナリスト。 日本初の創作童話『こがね丸』(博文館、1891年)を発表して近代児童文学史を拓いた日本児童文学の先駆者と評される。 『桃太郎』『金太郎』『浦島太郎』『こぶとりじいさん』[3]などの民話や英雄譚の多くは小波の手によって再生され、幼い読者の手に届いた。 今日有名な『桃太郎』や『花咲爺』などの民話や英雄譚の多くは彼の手によって再生され、幼い読者の手に届いたもので、日本近代児童文学の開拓者というにふさわしい業績といえる。
桃太郎 - Wikipedia
1887年(明治20年)に国定教科書(『尋常小学読本』巻1)に採用される際にほぼ現在の「標準型」のあらすじの桃太郎物語が掲載された[34][35]。だが1904年の第1期『尋常小学読本』の際には桃太郎はいったん教材からはずされた。 1910年の第2期『尋常小学読本』にて復活したが、このころ童話作家の巖谷小波が文部省嘱託となっていて桃太郎の執筆に大きくかかわっている(事実上の執筆者である)と考えられている[注 8][36]。小波は、1894年(明治27年)に『日本昔話』としてまとめられており、これもその後の語り伝えに大きく影響した。 桃太郎の姿が、日の丸の鉢巻に陣羽織、幟を立てた姿になり、犬や鳥、猿が「家来」になったのはこの明治時代からである。それまでは戦装束などしておらず、動物達も道連れであって、上下関係などはない。明治の国家体制に伴い、周辺国を従えた勇ましい大日本帝国の象徴にされたのである[37]。 太平洋戦争の終焉まで、桃太郎は多くの国語の教科書をはじめ、唱歌や図画の教材などに日本国内で広く利用された[7]。
- - - - - - - - - - - - - - - - 巖谷國士 は巖谷小波の孫






















