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Fuck. Watching this stresses me out.
2015年7月25日
東京都現代美術館(MOT)で現在行われている「おとなもこどもも考える ここはだれの場所?」展に、僕と妻・岡田裕子と息子・会田寅次郎の三人からなる「会田家」というユニットは参加しています。僕ら3人は当展の担当学芸員である藪前知子氏とチェ・キョンファ氏と去年から小まめに連絡を取り合い、準備を進めてきました。 展覧会が始まって約1週間がたった7月23日と24日、美術館を代表する形で、チーフキュレーターの長谷川祐子氏と企画係長の加藤弘子氏から、出品作のうち2作品に対する撤去要請がありました。理由は、観客からのクレームが入り、それを受けて東京都庁のしかるべき部署からの要請もあり、最終的に美術館として協議して決定した、と説明を受けました。 2作品のうち1つは、僕たち3人が共同制作した「檄」という、墨文字がしたためられた6メートルの布の作品。もう1つは僕が去年作った「国際会議で演説をする日本の総理大臣と名乗る男のビデオ」というビデオ作品です。後者についてはまたの機会に譲り、今回は「檄」についてのみ、その制作意図を書いて、今回の撤去要請が不当であることを訴えたいと思います。「檄」は三人の作ではありますが、発案者は僕であるので、とりあえず僕が一人で書きます。 まずこの作品は、見た目の印象に反して、いわゆる「政治的な作品」ではありません。現在の政権や特定の政党を、利する/害するような文言は一言も書いてありません。文部科学省という役所全体に対して、不平不満を述べているだけです。公立ではなく民間の場であっても、芸術を使って政治的アピールはすべきでない、というのは僕のいつもの基本方針です。芸術の自律性を大切にしたいがための、自分用の戒めみたいなもので、他者にも求めるものはありませんが。 また、この作品には全体的にユーモアが施されています。「檄」と大書された墨汁がほとばしるタイトルに反して、文章の内容は全体的には穏健なものです。特に自衛隊によるクーデターを呼びかけた三島由紀夫の「檄」に比べれば、脱力感漂うヘナチョコなものになっています。そういう「竜頭蛇尾」的なユーモア構造が全体に仕掛けられています。 文章の内容はある意味「大したことないもの」です。特に穿った意見がそこに書かれているわけではありません。我が家の食卓で話されてきた日常(すなわち自分たちが美術家夫妻であるという自意識も薄れているような日常)会話のうち、「日本の教育への不満」を抜き出したものがベースになっています。息子は一生徒としての、妻は一保護者としての体験的な実感を述べていて、僕はオヤジ臭く「国家百年の計」のようなことを主に述べています。 もちろん誠実に、本心のみを書いたことは言うまでもありません。家族3人の意見の比重が同じになるように、分量を調整しました。また3人の意見がバラバラである状態もそのまま示しました(それを無理矢理ミックスしたので、日本語としておかしい部分がたくさんあります)。 現代の日本の家庭なら、ごく普通にありうべき不平不満だと思います。しかし完璧に国民的中庸な意見とは言いません。「当然偏りはある」という前提で読んでもらうべき、「一家庭における一サンプル」にすぎません。 「個々人が持っている不平不満は、専門家でない一般庶民でも、子供であっても、誰憚ることなく表明できるべきである」というのは、民主主義の「原理原則」「理想」です。簡単に言えば「我慢しなくたっていい」「声を押し殺さなくていい」——その基本的な人生態度を、僕は子供たちにまずは伝えたいと思いました。その態度を少し大袈裟に、少しユーモラスに、そしてシンボリックなビジュアルとして示そうとしたのが、この「檄」と名付けられた物体です。 またこの「檄」は、そのような「理想」が内包する矛盾も意図的に示しています。誰もがこの現代美術館のような、天井高6メートルの空間に垂れ幕を掲げられる機会が与えられるわけではありませんから。みんながそれをしたらこの世は垂れ幕だらけになってしまいますが、その笑ってしまうような光景を幻視したうえで、社会とは何かを考えるのも良いことだと思います。 けして美術家ではない一般中学生である息子の参加を要請した上で、「ここ(=美術館)は誰のもの?」という難しい問いを投げかけた、担当キュレーター藪前氏&キョンファ氏に対する、僕なりの反応の一つが「檄」でした。民主主義や公共性というものは、突き詰めて考えたらとても難しいものです。不公平にもアピール度が突出した「一家庭の意見」のアイロニカルな姿を見て、たとえ子供であっても直感的に何かを考え始めてくれないだろうか……と、僕はアーチストとしてその跳躍性に賭けたいと思いました。 ――――――― 次に「内容が子供展に相応しくない」という意見に反論します。 ここに書かれているのは日本国の教育制度に関する話——いわば「大人の事情」ですが、そのようなものを子供たちの目から意図的に遠ざけ隠す行為は、基本的に良くないことだと僕は考えます。 たとえば、僕は小学校時代「道徳」の授業に漠然とした違和感を感じていました。その理由の主なもの——戦前の「修身」がGHQにより禁止され、再び姿を変えて復活した——といった歴史的経緯は、ずっと後になって自発的な勉強によって分かりましたが 「小学生の時から誰か大人に教えてもらいたかったよ!」と強く思ったものです。僕はまったく聡明な子供ではありませんでしたが、そう思ったので、聡明さの問題ではないと思います。 「大人たちの作った世の中の仕組みは、ただ従順に信じるのではなくて、つねに疑いの気持ちを胸に秘め、警戒して生きてゆく——そういう“背伸び”はした方がいいんだよ」という、これは僕から子供たちへ伝えたい大切なメッセージです。 「ものごとを疑う精神」というのは、人間の知性にとって最も大切なものと僕は考えます。それは20歳で成人してから、突然行使する権利が認められるような類いのものではなく、それこそ「物ごころついた時から」着々と育んでいくべきものと考えます。いわゆる「思春期の自我の目覚め」で突然それに目覚める、その「遅さ」ゆえの「爆発」こそが、できれば避けるべき事態だ——というのが私の考えです。 その考えに基づいて僕は「檄」を始め、この展示全体を構成しました。この展示は「子供展」という枠組みに対する無視などのはずはなく、むしろ熟考の結果です。 ——————— 最後に「クレーム」について。 7月24日の話し合いの時に長谷川、加藤両氏から「観客からのクレームがあり、東京都庁のしかるべき部署からも要請がきたので、美術館としても協議し、撤去の要請を決定しました」と、僕は言い渡されました。 僕は会場で公開制作を続けていて、観客の暖かい反応に接してきたので、そのクレームの話と自分の実感のギャップが気になり、ふと「何件のクレームが来てるんですか?」と聞きました。返答は「友の会会員が一名」というものでした。僕は一瞬耳を疑いました。てっきりたくさんのクレームが来ていて、その対応に追われているイメージだったので。僕が具体的な人数を質問しなければ、そのまま人数は教えてくれなかったでしょう。また「その東京都庁の部署はどこでしょうか」と尋ねたところ、「それは言えない」という回答でした。 このように、クレームの相手(の種類や量)を僕にまったく見せないままに、この撤去要請は行われました。これでどうして僕が「納得」できるというのでしょうか。
変化するもの:キミ・ワーナー:パタゴニア
超えてゆけそこを、潜り抜けてゆけそこを
未来は君たちのものだ。

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Okinawa: pocket of resistance
The battle over Henoko Bay looks set to challenge the power of the Okinawan protest movement
BY JON MITCHELL
Abe Reinterprets Japan’s Constitution
Prime Minister Shinzo Abe is taking a new approach to Japan’s post-war pacifist Constitution.
NYT_JULY 20, 2014
世界中の天気状況がビジュアライズ。コミュニティはこちらへ:https://www.facebook.com/EarthWindMap
2014.0708琉球新報・佐藤学「戦争の影響 近くに/米従属脱却は沖縄から」
ビジュアル版・抜け落ちた部分再アップ

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20140703琉球新報14/15面「ビジュアル版 辺野古採掘調査/今月にも強行へ」
7月1日に不誠実であることについて
雄次郎:「私たちは、他国に直接に銃を向け、傷つけ合う不幸だけは味わうことなく、戦後69年を過ごしてきました」だってさ→戦争をさせない1000人委員会は 「集団的自衛権」行使容認の閣議決定に反対します(声明)http://www.anti-war.info/information/1407011/
康博:どうしてこんなつまんないロジックになるんかね。「私たちは、国内に米軍基地を保有することで他国に直接に銃を向けてきたが、その大半を沖縄に押し込めることで傷付け合う不幸を味わうことなく、戦後69年を過ごしてきました」といえばまだ理解できる。
雄次郎:平和な戦後日本という虚偽のイメージで、ともかく安倍に対抗したいのでしょう。そうすることによって、朝鮮戦争やベトナム戦争、湾岸戦争などなどで犠牲になった人々、基地をおしつけられている人々を踏みつけても、意義あるコストだと考えているのでしょう。
康博:そうなんだろうね。虚偽のイメージを前景に掲げ対抗することは、虚偽の結果しか導かないだろうに、この人たちは誠実さに欠ける。充分、知性はあるんだろうから、この不誠実さの罪は重いね。
雄次郎:そうした知識を高橋哲哉らがもっていないというのはありえませんから、戦略的に、あえて言ってるのだと考えるのが妥当だと思います。
康博:御意。そして私は、高橋哲哉らがそうだということになんの違和感も不思議もない。
雄次郎:そうだと思います。知性や知識に富んでいて、自覚的にウソをついているのであり、不誠実です。
琉球新報2014年6月30日「論壇」
非戦を選ぶ演劇人の会 ピースリーディング vol.17
あなたは戦争が始まるのを待っているのですか?
◎構成・台本・演出 : 非戦を選ぶ演劇人の会 日時:2014年7月15日(火)19:00 日時:2014年7月16日(水)14:00 日時:※受付開始・当日券の販売は開演1時間前、開場は30分前になります。 会場:全労済ホール/スペース・ゼロ 会場:東京都渋谷区代々木2-12-10 全労済会館 TEL:03-3375-8741(代) 会場:◎JR新宿駅南口より徒歩5分 ◎京王線・都営大江戸線・都営新宿線新宿駅6番出口より徒歩1分
なんとなくクセになる。揺れ方。 Mint Julep »To The Sea«

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仲井眞さんの偽装詐術について
「それは偽装、詐術に等しい」とするのは誤り、要求していた普天間基地の県外移設を普天間基地機能の「県外移設」に摺り替えているのは明白。偽装詐術そのもの。
>>平和宣言「沖縄の心」を反映させよ - 琉球新報 - http://bit.ly/T48ned
kama : 「県外」復活と辺野古容認撤回は普通に考えればセットでなければ論旨が破たんするのですが知事はどう説明するのでしょうか・・・
nagu : 「私が求めている5年以内の運用停止は「県外」がなければ無理。だから「県外移設」の公約には反しない。埋立承認は法令に則り判断しただけ。辺野古容認とは別問題。辺野古完成後、県外から戻ってくることは論理的にはありうる」(既にこれぐらいのデタラメは言っている)
kama : 具体的には知事の言う「基地機能移設」と「基地の移設」の何が違うと言うのでしょうか?普通に考えると「基地機能移設」は基地は残して中身は移す?というわけのわからない事になりますが、接収された普天間の土地は戻らないということを指すのでしょうか?
nagu : 仲井眞さんは強弁するために論旨をグチャグチャにしてるので説明は難しいのですが、彼の主張に沿うと①問題は普天間の「危険性の除去」②辺野古は10年近くかかるので待てない。5年以内に運用停止せよ③運用停止のためには「県外」が不可避 ここまでですね言明しているのは
kama : そのあとを時と場所により好き勝手にアレンジしているのですね・・・
nagu : ここからは言明されていないが、仲井眞ロジックではこうなる。④運用停止された普天間の返還そのものは日米両政府が考えること。⑤辺野古移設が返還条件なら返還そのものは10年後。⑥運用停止で「県外」含め分散していた部隊が辺野古統合。→普天間返還。
kama : 沖縄への過重な基地負担の解消(軽減)はその過程でごまかされるのですね。
nagu : 仲井眞さんと自民党県連は、過密な普天間から過疎の辺野古への移設は「基地負担軽減」という政府ロジックを受け入れている。しからば「県外移設」とはなんだったんだという疑問へのまともな説明がつかないのでごまかしているんですね。
kama : 「過疎の辺野古への移設」は環境破壊と云う点だけでも新たな負担増加なのですが、経済的価値観で過疎という蔑視からの発想ですね。
nagu : 1996年のSACO最終報告以来一環している日米両政府の「合理的判断」は、中南部の過密から北部への移転で米軍基地の持続可能性を高める。米軍関係者は辺野古周辺が都市になることがあってはならないとまで発言している。これは負担軽減プログラムではないんですよ。
明日は、沖縄の「慰霊の日」である。69年前、沖縄では住民を巻き込んだ地上戦が展開された。アジア太平洋戦争中、近代兵器で立ち向かってくる敵兵相手に民間人が竹槍(たけやり)を振らされ、自爆攻撃まで強いられた地域は日本国内では沖縄しかない。暮らしながらに戦闘に巻き込まれるとはいかなる体験だったのか。
戦争を語るということには、体験や記憶といった認識の枠組みではとても整理しえない感情が生々しくつきまとう。作家の真尾(ましお)悦子が沖縄戦を体験した女性たちに取材した『いくさ世(ゆう)を生きて』(ちくま文庫・品切れ。電子書籍版あり)は、そのような生身の感情をつなぎ留めようとする試みである。戦争は概して悲惨の一語で片づけられがちだが、女性や子どもを戦渦に晒(さら)した戦争の一体何が悲惨だったのか、その内実を教えてくれる。
■生き残った苦悶
沖縄戦中、女子学徒を引率した仲宗根政善の日記『ひめゆりと生きて』は、生き残った者の苦悶(くもん)が一身に詰め込まれているような書である。戦後沖縄の「受苦の歴程」とシンクロしながら、そのたび仲宗根は戦死した教え子の記憶とともに戦場に立ち返った。その日記には、戦争を語ることについて、「説明はことの葉である。ことの根ではない。根を伝えることは不可能である。しかし、根をこそ伝えるべきである」との記述があるが、かかる葛藤の前に体験者は沈黙しがちである。はたして、非体験者が「ことの根」に触れることは可能なのだろうか。
そのような根をたぐり寄せようとする試みの一つとして、1960年生まれの沖縄出身の作家、目取真俊の『眼の奥の森』を挙げたい。沖縄戦中の米兵による性暴力を起点に展開する小説であるが、17歳でレイプされた少女の惨事はそれで終わることなく、幼なじみの少年を復讐(ふくしゅう)に駆り立て、家族や共同体との関わりの中で新たな暴力と狂気を孕(はら)ませていく。それから60年、いまだ戦場から抜け出せない当事者たちの内的世界が、戦前から延々と続く軍事的暴力に取り囲まれた沖縄の日常と共振しながら活写される。読者は、フィクションという手段で「ことの根」に迫ろうとする作家の気迫に圧倒されるだろう。
■「暴力」に抗する
最後に、沖縄戦へと向かう道のりから何を学ぶべきか、その道標となる研究書を紹介したい。冨山一郎の『増補 戦場の記憶』であるが、初版が刊行されたのは95年、そこで提起された「戦場にいきつくプロセスが、極めてあたりまえの日常世界から開始されている」という問題認識は、より切実なものとなっている。著者は、国民の中に「異人」をつくり出す平時の規律が、沖縄戦の戦場を支配する軍律へと横滑りしていった過程を辿(たど)り直すことで、「軍事的暴力に抗する可能性」を見いだそうとした。この20年の社会変化の中で、大きな力に守られたい心を募らせ、軍事的暴力に身を委ねることに対する違和が飲み下されていった現実を前に、時代はすっかりこの本から取り残されてしまった感がある。
以上の4冊を手がかりとして、かつて「自存自衛」と「東洋平和」を標榜(ひょうぼう)した戦争の果て、沖縄が切り捨てられた歴史的事実を噛(か)みしめる必要がある。「日本の平和と安全を守る」という「現実主義(リアリズム)」の名の下に、沖縄を国防の最前線に晒す安全保障論は、これまた私たちの「命と平和な暮らし」を危険に陥れる安全神話ではないのか。沖縄戦が問いかけるものは大きい。
◇きたむら・つよし 早稲田大学 琉球・沖縄研究所客員准教授 73年生まれ。文化人類学。著書に『死者たちの戦後誌』など。