シニシズムは選ばない
可能な人は、それを望むなら、日本を捨ててどんどん海外に避難する選択はアリだと思う。むしろ、積極的に推奨する。ただし、それは日本という国を放っておけばよいことを意味しない。この国を放置するなら、さらなる害悪を全世界にまき散らすのはまちがいない。
つまり、私たちは政治と無縁でいるわけにはいかない。日本の政治社会を放置しておけない。海外に避難するなら、避難先での政治と無縁でいるわけにもいかないだろう。これだけ酷い世の中だと厭世的になるのも理解はできるが、ただし、少なくともそれは持続可能ではない。
無論、現実を見れば見るほどに、「民主主義など幻想だ」といったシニシズムに走りたくなるのは理解はできる。だから、日本に残って政治社会の変革を目指す人たちが、どこか非現実的なまでに楽観的に見えるのかもしれない。しかし、ここには考え違いがあると思う。
既に述べたように、私たちには政治社会に関わらないという選択肢はありえない。つまり、私たちは現実の中に希望を感じているから政治に関わるというよりは、その点に関しては選択の余地がないから関わっているのだ。現実を見るとはそういうことだと思う。
むしろ、「民主主義など幻想だ」と言いきるならば、それは政治の断念を意味するしかないと思うけれども、それは現実を見ている体裁でもっとも大事な現実から目をそらす態度になってしまっていることを指摘せねばなるまい。
自分一代がそれなりに暮らせればいいと割り切ってしまう態度はありえる。しかし、これは未来に向けた積極的な選択であるどころか、最初から未来を諦めた敗北主義に過ぎない。そのことは自覚すべきだろう。少なくとも、子どもの顔を見ながら語れることではない。
私たちは政治と無縁でいるわけにはいかないし、より具体的に言えば、日本の政治社会を変革するという課題を考えないで済ませることはできない。私たちは楽観的だからではなく、選択の余地なく政治にかかわるのである。
僕は、可能な人が海外に避難することを強く肯定するし推奨する。しかし、それは避難することと残って戦うことのどちらが合理的な選択かという問題ではない。むしろ、それらの人々の行動は相互補完的であるし、そうならなければ、避難した人にも残った人にも未来はない。















