仏教学の世界では、
経典は仏の言葉 論書は学者の解説
みたいに分類するんやけど、
歴史学的に一歩引いて見ると、
「結局どっちもおっさんが書いたんやろ」
は、だいぶ本質を突いとる。
ただ、「言い張り方」が違うだけではなくて、
「どの立場から言い張るか」
が根本的に違うねん。
経典は「ブッダの口を借りる」
例えば法華経。
冒頭はだいたい、
如是我聞(にょぜがもん) かくのごとく我は聞けり
から始まる。
つまり、
ワシが言うてるんやないで 釈迦が言うたんやで
という形式。
現代で言うと、
経典
「実はアインシュタインがこう言っていた」
という形式
論書
「私はアインシュタインをこう解釈する」
という形式
やねん。
論書は「ワシの解釈や」
大智度論(だいちどろん)なんかは、
だいたい
なぜそう言えるのか 反論にどう答えるか
みたいな話になる。
経典よりも
論理
定義
分類
が増える。
だから読むと、
法華経は小説みたいで、
大智度論は大学の教科書みたいや。
権威の発生源が違う
ここが一番大きい。
経典は
ブッダがそう言った
が根拠。
論書は
理屈としてそうなる
が根拠。
だから論書は、
経典を引用しまくる。
経典は逆に、
自分より上の根拠を引用せん。
神の言葉と、
神学者の解説書の違いに近い。
でも実際には境界が曖昧
ここからがおもろい。
歴史学者から見ると、
法華経も
大般涅槃経も
おそらく後代の誰かが書いた。
つまり
ブッダ本人が書いたわけやない
可能性が高い。
そうすると、
経典と論書の違いは
事実上、
「形式の違い」
になってくる。
「言い張り」
実は昔のインド人は、
現代人よりずっと
「誰が言ったか」
を重視してた。
だから、
龍樹(りゅうじゅ)が
ワシの考えでは〜
と言うより、
仏が昔こう説いた
という方が圧倒的に強い。
せやから、
新しい思想を広めたい人は、
論文として出すより、
経典として出した方が強かった。
極端に言うと、
論書
「ワシの説を聞いてくれ」
経典
「実はこれ、ブッダの遺言や」
である。
ユーザーはんの関心から見ると
人間はストーリーを言い張る生き物や
という見方で見ると、
経典と論書の違いは、
思想内容そのものより、
語りのポジションの違い
やねん。
経典
宇宙の真理が語っている
という演出
論書
ある賢者が解釈している
という演出
になる。
もっと乱暴に言えば、
法華経や大般涅槃経の作者たちは、
単に
新説を発表します
とは言わへんかった。
そうやなくて、
いやいや、 これは新説やない。 昔からブッダが知っとった究極の教えや。 今まで隠されていただけや。
という物語形式を採った。
せやから歴史学的には、
経典と論書の違いは、
「誰が書いたか」よりも、
「誰の声として語るか」
の違いやと言うても、かなりええ線いっとると思うで。
むしろ大乗経典を眺めとると、
「思想」と「文学」と「権威演出」がまだ分離してへん時代の知的営みを見ている感じがするんや。経典は論文であると同時に、小説であり、演劇であり、マニフェストでもあったんやな。
「ワシが言うてるんやないで 釈迦が言うたんやで」 うそやん(笑) いくら方便やで言うても、 明らかなウソはあかんのやないかな?
そら現代人の感覚やと、
「いや、それ釈迦言うてへんやろ(笑)」
になるわな。
しかも仏教は五戒の一つに
不妄語(ふもうご) 嘘をつかない
がある。
せやから、
ブッダの言葉やないのに、ブッダの言葉やと言うたらアウトやん
という疑問は、実は昔からある。
ただ、当時の大乗仏教側は、おそらく自分らを
「嘘つき」
とは思ってへんかった。
現代人の「著者」
現代人は
誰が書いたか
を重視する。
たとえば、
夏目漱石が書いてへんのに
夏目漱石著
と書いたら詐欺や。
著作権の世界もそうや。
昔のインド人の感覚
ところが古代インドはちょっと違う。
重視されるのは
誰が書いたか
より
真理に合ってるか
やねん。
極端な言い方すると、
この教えは仏の悟りと一致しとる せやから仏説や
という考え方。
現代人からすると
いや、それ本人の発言ちゃうやん
となる。
でも向こうは
精神的には仏説や
と言う。
法華経の作者の気持ちを想像すると
たぶんこんな感じ。
「ワシらが新発明したんやない。」
「釈迦の悟りにはもっと深い意味があった。」
「それを今の時代向けに表現し直しとるだけや。」
つまり
創作
というより
発掘
の感覚。
キリスト教でも似たことがある
例えば新約聖書でも、
後世の学者は
「これは本人が書いてへんやろ」
と言う文書がある。
でも当時は
この共同体が受け継いだ使徒の精神
を語るものとして扱われた。
古代世界では案外普通やった。
それでも批判はあった
もちろん、
全員が納得してたわけやない。
大乗仏教が出てきた頃、
保守派の僧侶は
そんな経典聞いたことないぞ
と言うた。
実際、
大乗経典の作者たち自身が、
その批判を予想しとる。
法華経なんかでも
この経を信じない人がおるやろう
みたいな話が出てくる。
つまり作者も、
「これ、本当に釈迦が言うたんか?」 と突っ込まれる
のはわかっとった。
仏教的に見ても微妙な問題
せやから現代の仏教学者の中には、
大乗経典は壮大な宗教的フィクションや
と見る人もおる。
一方で信仰の立場からは、
文字通りの発言かどうかは本質ではない
と言う人もおる。
これ、
人間は物語を言い張る
という話に近いねん。
大乗経典の作者たちは
ワシが言う
では弱い。
ブッダの悟りそのものが語る
という物語を採用した。
現代人はそれを
ウソやん
と読む。
古代人はそれを
真理を表現するための形式
と読む。
せやから一番フェアな言い方をすると、
歴史学の立場では「事実としては釈迦本人の発言ではない可能性が高い」。 でも、 大乗仏教側は必ずしも「騙してやろう」という意味でやったのではなく、「仏の悟りを代弁している」という感覚で語っていたらしい。
ただまあ、
現代の大阪のおっちゃんが法華経の成立事情を初めて聞いたら、
「いや待て待て。 それを世間では普通ウソ言うねん(笑)」
とツッコむのも、かなり自然な反応やと思うで。
「釈迦が言うたんやない」 ↓ 「ほな何を信じるんや」
という問題は、
実際に明治以降の仏教者がガチで直面した問題やねん。
江戸時代までは
基本的には、
経典は仏説
やった。
もちろん学者は
「怪しいなあ」
と思っとったかもしれん。
でも表立っては言わん。
ところが
富永仲基
が出てくる。
富永仲基(とみなが なかもと)
この人、かなり過激や。
ざっくり言うと
仏教の歴史を見たら、 後の時代ほど話が盛られとるやん
と言うた。
有名なんが
「加上(かじょう)」説。
つまり
後の人が上乗せしたんやろ
という説や。
法華経も
華厳経も
大般涅槃経も
「後から足したやろ」
と言うた。
今の仏教学から見ると、
びっくりするぐらい先進的や。
明治で大爆発
ところが仲基の時代はまだ限定的やった。
本当に衝撃が来るのは明治。
西洋から
歴史学
文献学
比較宗教学
が入ってくる。
すると
ドイツ人やイギリス人が
容赦なく
これ釈迦本人の言葉ちゃうやろ
と言い出す。
しかも根拠付き。
成立年代も調べる。
写本も調べる。
言葉遣いも調べる。
坊さんたち、
めちゃくちゃショックを受けた。
第一段階
「防衛戦」
まず起こったのが
いや仏説です!
という抵抗。
でも段々苦しくなる。
第二段階
「象徴として読む」
ここで出てくるのが
清沢満之(きよざわまんし)
らの世代。
清沢は、
かなり思い切った。
彼は
歴史的事実かどうか
よりも
その教えが人間をどう変えるか
を重視した。
つまり
信仰の重心が変わる
昔
↓
「釈迦が言うた」
近代
↓
「この思想に真実がある」
になる。
実はこれは大革命
昔の宗教
↓
権威中心
近代宗教
↓
体験中心
やねん。
たとえば
昔なら
阿弥陀仏がおる
が先。
近代なら
念仏によって人生が変わる
が先。
順番が逆になる。
さらに進むと
宗教から哲学へ
移っていく。
例えば
鈴木大拙(すずきだいせつ)
なんかは、
禅を
人類普遍の精神体験
として説明する。
もう
「うちの宗派が正しい」
ではない。
仏教が文学化する
さらに進むと、
経典が
「神の言葉」
から
「偉大な文学」
として読まれ始める。
法華経なら
久遠実成(くおんじつじょう)
方便(ほうべん)
一乗(いちじょう)
これらを
歴史事実ではなく
人間理解として読む。
仏教が心理学化する
20世紀になると
もっと進む。
無我(むが)
↓
自己イメージへの執着
縁起(えんぎ)
↓
相互依存
禅定(ぜんじょう)
↓
マインドフルネス
みたいになる。
ここで寺はどうなるのか
もし
思想として優れてる
だけなら、
寺いらんやん
になる。
実際そういう方向はある。
しかし寺側は
別の価値を出し始める。
共同体
儀礼
葬儀
人生儀礼
修行空間
つまり
思想だけやなく
生き方の場
としての価値や。
面白い見方
昔の仏教は
真実だから信じる
やった。
近代以降は
信じるに値するから真実として扱う
に近づく。
つまり、
権威の場所が
釈迦
↓
経典
↓
宗派
↓
個人の体験
へ移動していく。
だから近代仏教史を一言で言うと、
「仏が言ったから正しい」から、「人間を深く理解しているから価値がある」への重心移動の歴史
とも言えるんや。
そしてその流れの中で、
寺や僧侶も、
「真理の独占者」から「実践や共同体の管理人」へと少しずつ役割を変えていった、という見方ができるんやな。



















