くせというにはありきたりだけれど、私は真夜中と呼ぶにふさわしい時間にならないと、哲学書(というよりも本一般)がまっとうには読めません。周囲が寝静まり、どこか公共的な意味あいや価値づけが欠けたとき、私が私であるという輪郭そのものがあいまいにぼやけていって、だけれどもそのぼやけ方が心地よい場面でしか、哲学書はとても読めない気がします。メタフィジカル(形而上学的)に世界を見据えるとか、ある種の思考操作によって何かを論じつくすとかいうこと自体が、どこか後ろめたく、「世間」に対して顔向けできない営みではないか、という古風な(?)観念を引きずっているのでしょう。それが身に染み付いたせいで、朝の一限に授業がはいっているときは、ほとんど決死の覚悟で生活しています。
檜垣立哉 「AERA Mook 現代哲学がわかる。」(朝日新聞社、2002)















