『ジェネレーション・レフト』、冒頭を読んで(まだ冒頭しか読んでない)、やっぱ世代ってあながち否定するもんじゃないなとちょっと反省しました笑
〈自分自身を形作ってきた過去の経験は「自然的な世界像として定着する傾向」をもっている〉(p.42)、まーそうすよねw
経済とか政治においては世代の存在って否定できないと思うんですよ。ただ常に念頭に置いておかなければならないのは、信じすぎはよくないなと。世代の区別ってニアリーイコール統計で、指標としてはけっこう恣意的(=切り口次第で見え方がガラリと変わる)な気がしてます。当然のことながら各世代に例外となるような個体はごまんといる(将来安泰なミレニアルも、先行き暗い団塊も一定数いる)ので、社会・経済といった大局的な対象を見るときに、恣意的な概念に軸を置き過ぎると齟齬が生まれるんじゃないかなと警戒しちゃうという感じです。
無論、大局を見る時に、客観的な物差しは不可欠です。が、その物差しは一定数の例外を伴う。そこを安易に看過してはいけないと思うわけです──もちろん学者は皆クレバーですから、論を進める為にあえて看過しているだけとは理解しておりますが!
ともあれ、「パターン化できない部分を無視しない」というのは、その昔マイナーなカルチャーに明け暮れた私の信念なのであります…以上、敗者の言でした。笑
p.45、「年齢に着目することは、若者と高齢者に共通する階級的理解の認識を困難にするという弊害がある。(中略)ソーシャルグレードシステムの指標では、このような複雑な状況に光が当たることはない。新たな分断によって対話不能になるような瞬間が生じているとするならば、そのような階級構成の変化を正確に把握するための階級概念が必要である」。これってめちゃくちゃその通りなのですが、(評論だから仕方ないとはいえ)結局この後やっていることって、階級という名の新たな二元論を取り入れているに過ぎなくないですか?
ちょっと話関係ないですが『ファクトフルネス』がベストセラーになってましたよね。あれって「先進国と後進国っつー枠組みはもう成立しないよね」と言いながら、筆者がその後やっていることって二元論を四元論にしてるだけなんですよね。あの本ほんとそこが残念でした、本質的には同じことやんと笑。あれを買い漁る人のレベル低いなぁと正直ちょっと思っ…いやなんでもないです。まー客観的な物差しは必要なのでしょうがないんですけど、これは論が悪いのではなく言語というコミュニケーションプロトコルの限界なんですけど!!
マジで早く言語と絵画の中間くらいのエエ感じのテレパシー的なコミニュケーションプロトコルできないかなと熱望してます。テクノロジーの民には頑張っていただきたい。
そして土曜の深夜1時にアルパカワイン飲みながらこれ書いてる自分どこまでも限界OLみに溢れていて泣く…あーしも資産もちたい🥺
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リーマンの変遷や左派の変遷はふつうに勉強になりました!世代の概念を丁寧に説明してくれてここも勉強になりました。共産主義というよりコミュニティ主義としてのコミュニズム(イマドキ風には脱成長コミュニズムとかって言うのかな?)は可能か否か的な話は普通に興味深いです。個人的には前を向いて生きる為には安心して老い死ねる環境が必要なのではと思うので、脱成長頑張ってほしいです。最後の方にケアというワードが出てましたがほんとケアの地位向上はどうにもならんのかな?という思いです💦









