『未来学 人類三千年の<夢>の歴史』 ジェニファー・M・ギドリー 南龍太 訳
2017年の本。日本では2025年に翻訳出版。
面白そうだと思って図書館で借りて読んでみたが、特に関心が湧かなかった。それでも一応スキム読みはしました。以上。
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『未来学 人類三千年の<夢>の歴史』 ジェニファー・M・ギドリー 南龍太 訳
2017年の本。日本では2025年に翻訳出版。
面白そうだと思って図書館で借りて読んでみたが、特に関心が湧かなかった。それでも一応スキム読みはしました。以上。

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『魂に秩序を』 マット・ラフ 浜野アキオ 訳
"Set This House in Order" Matt Ruff
1050ページの長編。普通なら上下巻に分かれてるだろうが、これは一巻もの。主人公は多重人格者の成長物語か。最初の内は早めだけどちゃんと読んでいたが、5分の1くらいからスキムとブロック読みにした。いや、それくらいもうどうでもいいやってなってしまったんだ。多重人格者の心の中を描いてくれてるのは面白いんだけど、ドラマ化されたのを見る方が楽ちんでいいなと思ってしまったのだ。話の運び方とかいわゆるクライマックスの後にポストローグみたいなのがあったりするところなど、韓国のドラマっぽいと思って、登場人物を韓国の俳優で想像したら読むのにもっと身が入ったかも、思った。そうそう、舞台は1997年。とりあえず。
『消滅世界』 村田沙耶香
「セックスではなく人工授精で、子どもを産むことが定着した世界」が舞台。恋愛も対人間ではなくアニメのキャラとしたりする。今時の推しの世界と似てるとも思う。人工授精で妊娠するのが普通で、男性でも妊娠出産できるよう人工子宮を開発中。人々は異性間で結婚するが、婚外恋愛は当たり前で、結婚は精神の安寧のためという感じ。同性婚ができるようになったら、友達同士で結婚するのにねと言う女性が何人か出て来て、実際の世の中の同性婚を求める人々が読んだらどう思うんだろうかと気になった。
セックスレスなカップルが増えていて、アセクシュアルな人がいることがある程度周知されつつある中、この物語は真実味を帯びるように見える。でもやっぱり、特に男性が性的交渉を持たないようになるにはそれなりの理由なり原因がいると思う。そこいらは描かずにいるのは、読み手に勝手に想像せいと言うことなのかなんなのか、私にはちと説明が欲しかったな。何というか、もう少し深く掘って描いてくれたらいいのに、って感じ。
『エクソフォニー 母語の外へ出る旅』 多和田葉子
ドイツで住みドイツ語でも小説を書く人。ヨーロッパではポップカルチャーとコンピューター関連により英語がたくさん流入していて、それが単語単位だけではなく文法までになっているそうで。これは世界中どこでも大なり小なりあると思う。これはもう仕方のないことだろうし、これにより新しい言語や文化が生まれるのだろうと思う。それがいいか悪いかは置いといて。
著者、外国語を話すときに出たり、どうしても残ってしまう「なまりは個の記憶(p143)」と言う。母語でもそうだよね。
ドイツでの授業だったかアメリカでの授業だったか、学生たちに漢字を一文字見せて、読みや意味などは全く教えずに、その見た目から想像を働かせて文章を書かせる授業をしたことがあるそうだ。面白そうだ!
この本とは関係ないが、10年くらい前にこの人の小説を読んだことがあるんだが、どうにも合わなくて、ちゃんと読んでないはずだ。調べたが、ここにも記録を残していない。この本の後半に著者さんの言語に関するものでないエッセイがあるんだが、それらは全然合わなかった。やっぱ、この人はnot my kindなんだなと思った。言語に関するものは興味深く読みましたよ。
『男性における道徳』 稲垣足穂
スキム読み。何故読みたいと思ったのか不明だったが、「男性における道徳」に三島についての言及があってこれのせいだったのだと解った。まあ、それがなかなか辛辣で、
三島は徹頭徹尾「肉体派」で、これっぽちの思想も持っていなかった。彼の「葉隠」も、サムライの「一汁一菜」とは凡そ縁遠いものであった。彼はいつもスペシァルなビフテキとセロリーの立場に置かれていたからだ。三島文学はだから、郷愁と感動という文学の二大要素を欠いていた。...(中略)...三島は能楽が好きだったらしいが、これは絢爛の能衣装と豪華な囃子にとどまり、ついに彼は農学の抽象性を理解することが出来なかった。なお彼が平岡公威という立派な名を持ちながら、何を好んで「三島由紀夫」などという牛肉屋か芸能人まがいのペンネームを常用したのか、私には了解に苦しむ。それは芥川龍之介が、「助」を「介」に改めたような卑怯さに通じている。そかもそこには由井正雪の場合に似た挫折の予告が見られる。「正しく雪!」(p67)
侍をカタカナで書いたり、ズタボロではないですか。しかも読んでて納得出来るところが面白い。また、これに続けて、
「日本の作家がダメなのは、女の前でぐにゃぐにゃしているからだ」彼は普段云っていたが、御自身は女系家族のただ中にあって、SLさえも了解出来ない状況に育てられ、しかしあっちに投げられこっちに受け取られたりして、ますます男らしさを喪失して、結局、金持ちの坊ちゃんがお菓子を食い散らしたあげく、持てあまして床にぶっ付けたようなことが起こってしまった。彼は平岡公毅として堂々と独身を通すべきであった。(pp67−68)
とある。いやあ、すごい。足穂、すごい。三島の他に川端康成もボロクソに書かれているが、これまた納得が行くんだ。
私が借りた昭和49年に中央公論社から出版されたこの本には、他に「梵天の使者」と「物質の将来」も収録されているが、「梵天〜」は軽く目を通しただけで最後の「物質〜」は全く読めなかった。以上。

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『雨月物語』 円城塔 訳
江戸時代1776年に出たもので上田秋成によって書かれたそうで全9編からなる。ちょっと怖かったり不気味だったりするもので、割と楽しく読んだ。この円城塔訳版は訳文が現代語っぽくて私にはちとムードがないかなと思われたが、これの入門にはこの本で良かったと思う。いつか気が向いたら他の人の現代語訳版を読んでみようかと思う。
あ、そうそう、岩井志摩子のアレンジ版を読んでみようと思ったが、私には全く合わなくて読めなかった。ちょっと残念。
『隠された十字架 ー法隆寺論ー』 梅原猛
古本で購入していつか読もういつか読もうと思い続けて10年以上、ようやく読んだ。歴史ロマンやね。そこには感情を持つ人間がいたってやつだわ。聖徳太子の一族が何故皆殺しの目に遭ったのかなど今となっては分からないが、後の人が太子の恨みを恐れたのはあるだろうと思う。梅原の論やここに書かれた人の仏像などを見ての感想などは、想像力豊かでちょっと手前勝手な共感かと思われるところもあったりする。歴史などの元々あった知識がなくてもこう感じられたのだろうかと疑問に思っても仕方ないことをあれこれ考えたりした。読む楽しみと、私自身が考えてみる楽しさを体験させてくれた本でした。
『教養主義の没落』 竹内洋
甥っ子がいっとき好きだった歌手が読んで評判になった本。ものすごい人気で図書館の予約が3桁だった。順番が回って来るのに1年近くかかった。
大正昭和初期の、学校制度が旧制だった時代は、高校大学生は教養を身につけるのが当たり前で、「教養知は友人に差をつけるファッションだった(p25)」そうで、教養がある方が女子にモテたそうだ。
この教養主義は、田舎式ハイカラ文化で、都市の中流階級のハイカラ文化とは違うものなんだって。地方出身者が中央官庁や大会社で務めるために標準語を身に着けるように「教養」を得ていたのだな。これが戦後、教育体制が新制になり、社会の構造が変わった後は、サラリーマンになるだけだから特別な教養など必要ないという「大衆教養主義」になったと言う。
「ごく普通の人々が高度な文学と接触することによって生じる結果として、民衆的な景観が破壊されるということがあります。その結果、人々は何ももたない状態に置かれてしまう。つまり、捨て去った元の文化と、知識も教養もある文化という、ふたつの文化のあいだで行き場を失うのである」( [フランスの社会学者ピエール・プルデューの] 「読書ーーひとつの文化的実践」) 予期的未来がノン・エリートである大学第一世代に、「ふたつの文化のあいだで行き場を失う」宙吊り状態が起こったことは想像にかたくない。宙吊りを解消するために、「知識も教養もある文化」の方にコミットメントしても、ただのサラリーマンが未来であるかれらにとっては、より大きな宙吊り状態に移行するだけである。そうであればこそ、「大衆の現像」という「民衆的経験」から論を組み立てる吉本隆明の言明に共感した。(pp211ー212)
教養主義の終焉は、1970年以後、「新中間大衆社会」によって決定的にもたらされる。「新中間大衆社会」とは「ホワイトカラーだけではなくブルーカラー、自営層、農民までを含んだ中間意識を総称したもの(p234)」で経済学者村上泰亮が命名。でもこれはそう中流意識ではなく、階級が、「経済的次元と政治的次元、そして文化的(生活様式)次元それぞれの序列が均質化するか、序列があってもその重要度が下がってきた(p234)」ために起こったそうだ。また経済力と学歴が比例しなくなったためもある。「ホワイトカラーだけでなくブルーカラー、自営層、農民までを含んだ新中間大衆とは「階級的に構造化されない膨大な大衆」の中間意識ということになる。(p235)」
「新中間大衆文化」は横並びを好むらしい。
ホセ・オルテガ・イ・ガゼットがいった凡俗に居直るーー「凡俗な人間が、自分が凡俗であるのを知りながら、敢然と凡俗であることの権利を主張し、それをあらゆる所で押し通そうとする」(『大衆の反逆』)ーー大衆平均人の文化といったほうが実態に即している。「サラリーマン」型人間像つまり大衆平均人間に向けて強力な鑢 [やすり] をかける文化である。こうした意味での「サラリーマン」文化の蔓延と覇権こそ教養主義の終わりをもたらした最大の社会構造と文化である。(p236)
そしてライトな教養である「キョウヨウ」に学生は生きる。これは「サラリーマン文化(平均人、大衆人)への適応戦略」なのだそうだ。(p240)
楽しく読みました。以上。
『密やかな結晶』 小川洋子
初めての小川洋子作品。この作品が英語に翻訳されてて、それを紹介しているbookTuberの投稿を見てこんな作品あったのかと興味を得て図書館で借りてみた。
記憶が「消滅」し、消滅した記憶と共に、記憶にまつわるものもなくなっていく島が舞台。島民のほとんどが記憶を失うのだが、そうでないタイプの人もいるようで、主人公の母親がそうだった模様。冒頭にその母親と眠る前にキスをすると言う逸話があって、記憶が次々に襲いかかるプルーストの反対版ってことか、と思ったり。また、本は記憶から「消滅」された後に、記憶にないものは物質的にも失くしてしまわなければならないので燃やす。トリュフォーの『華氏451』を思い出したのは言うまでもない。ーーここ本はブラッドベリー。トリュフォーを映画の方だよ。ーーそうそう、最初の方でロイス・ローリーの『ザ・ギバー』も思い出した。この記憶の「消滅」により、人々の心は「衰弱」するのだそうだ。嫌な世界。秘密警察がいるんだが、この人々の記憶はどうやら元のままなようだ。で、ここから何故この島の人々は記憶を失っていくのかを読み手が勝手に理由づけしてもいいって奴かな。私は何らかの化学薬品で軍事目的の実験をしているとみるな。ははは
さて私の感想としては、いまいちでした。単純に私と合わないんだろうと思われる。この作品のトーンなのか作者さんのトーンなのかが全く合わなくて、何だろ、イシグロの巨人を読んでたときのような感じでないとは言えないかも知れないんだが、巨人はまだ想像がしやすかったのに反してこれは、何ともつかみどころがなくて、全体に膜がかかっているようだったし、主人公もそうだが、途中からメイン・キャラになる男性にも感情移入どころか共感も出来なくて、そのせいか物語世界に入れなかった。この男がせめて臨月近い己の妻を思いやるシーンがあれば良かったかも知らんが、全くない。これは主人公の視点だから描かれてないだけと言われればそうなんだろうが、そうであったとしてこれまた私には気に食わない。つまりは、この作品は全く私の好きなタイプではなかったのだ。はい。
小川洋子さん、『博士の愛した数式』の作者さんなんだね。記憶について書く人なんだね。以上。
『そして誰もいなくなった』 アガサ・クリスティー 青木久惠
去年、早川書房から改訂新訳版が出たので読んでみた。叙述ミステリーと言うか信用出来ない語りてと言うか、もはや犯人が誰か判って読んで違った楽しさを得た。全く無駄がなくてサクサク読める。どんどん人が死んで行くので没入して読んだら怖いだろうなと思った。日本語で読むと、ドラマ版や英語でちょこっと読んだのとは印象が変わるのが不思議と言うかなんと言うか。寝る前の読んだのだが、楽しく読み過ぎたせいか朝まで眠れなかった(アホ

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『総特集 佐藤史生 少女マンガが夢見た未来』
萩尾望都と森脇真末味の投稿があるのを知って借りてみた。佐藤史生がもう亡くなっているとは知らなかった。坂田靖子と一番仲が良かったみたい。10代の私には『夢みる惑星』はちょっととっつきにくかったが、『ワン・ゼロ』は内容はさておきスポックそっくりのキャラがいて楽しく読んだ。どちらも図書館にあるので、いつか借りて読んでみようと思う。VIVA 我が図書館!!
『北愁』 幸田文
1959年1月号から翌年9月号まで『婦人之友』に連載されたもの。『流れる』は1955年、『おとうと』は1956〜7年。
幸田文の細やかなのだが弱くなく、自己憐憫がなく、かと言って潔いような達観したものではなく、悩みはするがだが立ち止まることなく歩み続ける主人公と物語世界と文体を楽しみながら読んだ。読みながら、幸田文の文章の根底にあるものの何が、宮尾登美子は当然ながら有吉佐和子とも違うのか考えた。それはもしかしたら、この本で書かれている幸田文をモデルとしたであろう主人公あそぎの性質のきつさや強さなんだろうと思った。このお三方、大好きだ。でももう十分読んだかもしれないが。そして髙村薫は別格だが。
物語はあそぎの少女時代から結婚生活の途中まで。そこに従兄の人生を鏡面のように書いてある。読了後、ついつい幸田文の人生をウィキで調べてしまった。
主人公のあそぎがお呼ばれして晴れ着を着た姿を見た継母の言葉から続くあそぎの考えを下に。
「...きれいよ。あたしも育て甲斐があったし、あなたのおかあさんもきっと嬉しいだろうと思うわ。」 ぐっと晴れ着のみぞおちに手応えが来た。突然に云われた生みの母のことである。しかもこの育ての母もいまは素直に他意なく、育て甲斐があったと、まま娘の外出姿を喜んでいる。この母の素直なところがあそぎを打ってきた。人を育てたことはおろか結婚もまだのあそぎだけれど、この母が自分を育ててくれた今日までの長さにはっとしたのである。「かあさん、ごめんなさい」という感情が過 [よぎ] る。それは育ての母へと生みの母へといっしょくたに叫びたい、あらあらしいまでに優しい感情である。それだからあそぎは下を向いてこらえた。なぜ下を向いてこらえたのだろう、なぜ上を向いて母の眼を見てこらえなかったのだろう。眼をあわせていれば、こちらのこらえの底に湧いていた「かあさん」という叫びは通じていたのに、ーー眼が語らなかったために、こらえたその一瞬間に、生さぬ中の不幸がさっと翼を拡げてしまった。(p44)
悲しいのが、私、幸田文の小説はほとんど読んでしまったのだ、、、。
『殺戮にいたる病』 我孫子武丸
YouTubeでトリックが凄い、叙述トリックが凄いとかなんとか見て読んでみることにした。図書館で借りたのだが、人気で数ヶ月待った。この作品ね、1992年のものなんですよ。だから、携帯電話やネット配信などが出てこない。こう言うもののない世界、ちょっと新鮮だった。
読みながらヴァル・マクダミードのトニー・ヒルものの最初の本を思い出したのだが、トニーの方が本国での出版もこれの数年後なのだ。トニーものはミステリーではないのでトリックに重点は置かれてないが、殺人犯の考えが赤裸々に描かれてるところが似てると思った。内容の気持ち悪さも似てるが、こちらの猟奇性が女性の私にはより気持ち悪く感じられた。
話題の叙述トリックは、なるほど!って感じでやられた感ありました。そう言われれば読み進めながらあれ?と思ったとこがいくつかあって、それらはいわゆるヒントだったんだよなと思ったり。全く気づかずスルーしたところも勿論ありますが。
とっても楽しく(と言うのが正しい表現ではないかも知れないが)読んだ。グロテスクなシーンがちとしんどかったが、それが犯人の「病」なのだから仕方ないよね。
『微笑み迷子』 新堂冬樹
ダーク・エンパスが描かれていると知って読んで見た。新堂冬樹の本は大方20年ぶりかも知れない。
ダーク・エンパスとは、解説を書いた精神科医の名越康文によると、「一般的に、高い共感力を持ちながら、その能力で他者を操ったり、自身の利益のために利用したりする人をさしますが、精神医学では正式な定義は定まっていません(p504)」とのこと。この物語の主人公はダーク・エンパスで、自分の主体性がない。そして、新堂冬樹の他の作品の登場人物宜しく欲の塊。出版業界で自分が望むやり方が出来るようにと裏技も使ったりして、行き過ぎで失敗する。ここの失敗の原因を他者との共感能力はあるが、根本的に人間の情を理解できてないからとなっていた。ま、そうなるだろうな。後半、自分だけではないと分かってどうにかしようとする、いわば再生の物語でもあったりする。楽しく読みました。ダーク・エンパスに関心がある人は読んでもいいかなと思う。
『魔の山』上 トーマス・マン 関泰祐 望月市恵 訳
岩波文庫版での再読。初読は、13年くらい前だろう。覚えてるところも所々あった。1924年の作品だから、100年前のものなんだと医療技術や科学知識に関して、また翻訳された言葉に古さがあるのが面白かったりもした。
『失われた〜』があまりにも取り留めない感情の吐露で疲れるので、明瞭なトーマス・マンで中和させようと思って同時に読んでる。古本で1999年の第20刷を買ったのだが、字が小さい。最近書店に並んでいるものも字の大きさは同じなので、古い本だからではないんだが、これが、初読の新潮版はもっと小さいのだ。いやはや、『失われた〜』ほどではないけれど、段変えが今時のように頻繁にないので、2ページ以上同じ段落のものがあったりして、これは疲れた。
時間についての言及に注目して読んでいる。道化回し的存在のイタリア人セテムブリーニが出て来たら嬉しくなる。読んでて楽しいのか楽しくないのか、面白いのか面白くないのかと言うと面白いんだけど、とにかく読み進めてる。下巻の方が手強い感じだが、頑張ろう。アホか、私。

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『一の糸』 有吉佐和子
文楽の三味線弾きに一目惚れした女性が主人公。商家で甘やかされて育ったおぼこの箱入り娘。でも性質が当たり前にわがままで思い立ったら居ても立っても居られないタイプのお嬢様。年齢は大正9年に17、8歳だから、明治後期生まれか。主人公茜の父親は元武士だったりするから、芸人は己がパトロンになるのは良いが、娘が結婚するなんてもっての外だ。娘がこの芸人に身を任せたことを知って父親は娘に死ねというんだもん。驚いた。
最終的に茜はこの三味線弾きと九人の連子と共に結婚する。戦後の文楽復興の流れなど、文楽の戦後史も知れる内容。楽しく読んだんだが、読みながらこの作品は宮尾登美子が書いたらどうなるだろうと考えてしまった。有吉は細かい心理などを書くタイプの作家ではないので、そこら辺を宮尾節で読んでみたかった次第。茜の性質があっさりし過ぎてるし、夫の三味線弾きさんは無口だし、登場人物たちの心理模様がもっと書かれていて欲しかった。でもね、やっぱり有吉はストーリーテラーだ。楽しく読みました。
『真珠郎』 横溝正史
美少年の殺人鬼に惹かれてが初読は中二の夏休み。怖くて布団を頭からかぶって読んだ記憶がある。今回の再読も美少年の殺人鬼に惹かれてなんだが、つまり私は内容をすっかり忘れていたのだ。怖さは、他の横溝作品を読んだ後なので、ほとんど感じなかった。もう内容覚えました。以上です。