祖母の話を思い出したので、書き留める。
嫌な思い出を語らない人だった。
だから、祖父に会いに東京まで行った時、パーマかけて帰ったなんて、ホントか嘘か分からないことも教えてくれた。
都会からの疎開先でもあった田舎だから、そこまで逼迫した空襲などはなかったみたいだけど、食べ物には困っていたと言っていたし、小学校のグランドはさつまいもが植えられていて、それしか食べられなかったらしく、さつまいもは嫌いだと言っていた。
祖父が戦地から送ってくれたルビーを大切にしていて、リングにしていたけれど、私が20歳の時に、ペンダントヘッドにして、譲り受けた。
リングのカットよりも少し加工されたので、小さくなったと言っていたけど、私の中では特別な時にしか出せないくらいの存在感だ。
戦争が悪いとかはあまり言う人ではなかったけれど、戦地で亡くなった祖父のことはとても大事にしていて、お見合い結婚だと言ってたけれど、カッコイイと言っていた。
旦那さんのことをあまり褒めない年代の方が多い中で、そんな風に旦那さんを褒める祖母が少しかっこいいと思ったし、今思い出すと可愛いとさえ思える。
祖母が亡くなった時、戦死した祖父のところから籍を抜いたので、祖父と同じお墓には入れないと言っていたが、父が祖母の思いを形にして、今は同じお墓にいる。
学校の先生だったと聞いているが、祖父のことを語ろうとはしなかった。学校の宿題で戦争のことを書くことがあったが、空襲があったことくらいしか話してくれなかった。
今なら分かる。
話したくないし、忘れたかったのかもしれない。
それでも、毎年の靖国神社へのお参りは欠かさなかった。
あそこには、戦争に関わって亡くなった方の全ての人がいる。
そう言われていて、戦争を始めた人も続けた人も、巻き込まれた人も、全て一緒くたになっている。その中の祖父にだけ祈ればいい。
祖父の戦死は終戦よりも前のことで、父は祖父の顔を知らない。写真が残っているけれど、それだけだと言う。
つらつらと記載しているのは、思い出したことをそのまま書いているだけだから。
どこかに残しておきたかったから。
今生きている私がいるのは、父がいて、母がいて、祖父がいて、祖母がいて、戦争があっても続いたからこそ。
私が生きているのは、とてもありがたいこと。
そう思ったので、忘れない為に。















