伊達マキという名前の女性の実在に関する文献
彼女は名を伊達マキと言った。マキは漢字で書くと「真希」であった。しかし彼女は生まれつき真実であるとか希望であるといったものの存在を信じなかったので、履歴書や区役所に求められる類の書類を除けば自分の名を漢字で記すことをしなかった。無愛想なコート紙の名刺に印字された姓名の表記も「伊達マキ」であった。
他の多くの (と言っても、彼女はユカリという名の友人の他にそれに当てはまる例を知らなかったが) 名前に食品の呼び名が冠された者たち同様、彼女もまた多分に漏れず伊達巻のことが嫌いであった。彼女は菓子を別にして食事として食卓に並べられる食べ物に甘い味付けがなされていることを良しとしなかったからである。同様の理由で黒豆も佃煮も栗金団も、彼女は好まなかった。従って彼女は重箱に収まった御節料理という物を須らく好まなかった。但し紅白の蒲鉾は例外であった。元来彼女には魚の肉をすり身にして蒸し上げる行為に対しての抵抗はなかった。そして蒲鉾には甘い味付けがなされていなかった。捕鯨やイルカ漁に対して、何らかの主義信条を持ったこともなかった。
彼女の眼鏡は伊達であった。彼女の視力が生まれてから2.0を下回ったことは一度もなかった。彼女にとってランドルト環の切り欠きの向きを言い当てることは、制服のブラウスのボタンを掛け違うことなく順番通りに留めるよりも容易いことであった。彼女は両目を遮眼子で隠していても、一番小さなひらがなの隅々まで読み当てることができた。それは透視能力ではなく、単に彼女が中学校の保健室のベッドで午前の授業時間を圧縮している間、壁に貼られていた視力検査表を眺め続けていたからであった。暗記科目は得意ではなかったが、彼女は今でもその意味を成さないひらがな達の形と音を思い出すことができた。しかしそれは彼女が視力検査の点数を不正に操作している左証にはならなかったし、彼女の視力が2.0を下回らないことに偽りはなかった。もとより視力の数値を水増しする必要も無かった。彼女は視力検査の際に握らされる黒い目隠しに遮眼子という名があることを、その保健室の養護教諭に教わった。しかし彼女はその教諭の名を、もう覚えていなかった。
彼女はユカリという名の彼女の友人とは違い、初対面の人間からその姓名について何かを尋ねられたり、或いは会話の糸口として好意的なからかいの矛先を向けられても、決して愛想笑いのひとつ返すことをしなかった。彼女は気安く人の名の由来を尋ねるような人間はデリカシーのない馬鹿だと信じていたし、事実初対面で彼女の姓名を話題に上げる人間は彼女の見立てに寸分の狂いも例外もなくデリカシーのない馬鹿であった。尤も彼女は馬鹿が特別嫌いなわけではなかった。何故なら彼女はまたそのような馬鹿を相手に自らの名の由来を明かすような者のことも同じように馬鹿だと信じていたが、ユカリという名の友人のことは好きだったからである。それどころか彼女はユカリという名の友人のことを尊敬すらしていた。彼女は特に、ユカリという名の友人が歴代天皇の名を欠史八代を含め神武天皇から今上天皇まで諳んじて見せるところが好きであった。それ以外にも好きなところは幾つか数え上げることができたが、彼女はその必要性をあまり感じなかった。
彼女は主に児童書を専門とする小さな出版社に勤めていた。児童も本も好きではなかったが、漢字よりはひらがなやカタカナの方が好きだったからである。週に5日は朝7時半に目を覚ますと手早く化粧を済ませてから玄関を念入りに施錠し、混み合った通勤電車に乗った。定時は朝の10時から18時までであったが、時折残業により終電で帰宅する日もあった。裁量労働制のため残業代は出なかった。賞与は年に二回出た。
出勤する平日以外、つまり土日や祝日、連休などを彼女が一体どのように過ごしているのか、会社の同僚や上司は誰一人として知らなかった。正確に言えば、彼らは彼女が土日や祝日、連休を趣味の読書や映画鑑賞に費やしているものと信じ込んでいた。彼女は履歴書の趣味欄に書いたことをそのまま事実として同僚たちに話し、必要があればそれに沿った会話を弾ませ、しばらくするとまた度の入っていない眼鏡を通してパソコンのディスプレイに視線を戻した。同僚や上司の誰一人として彼女のことを疎んだり、愛想が悪いと陰口を言う者は居なかった。事実、彼女は特別愛想が悪いわけではなかったし、同僚や上司たちからは一目置かれてさえいた。端的に言えば、好かれていた。
彼女はガールと呼ばれるほど若くはなかったが、カレンダー通りガールであった。カレンダーの日付が青い日は出勤し、カレンダーの日付が赤い日には出勤しなかった。彼女のカレンダーには前後月の日付がグレーの文字で印刷されていたが、前後の月を捲ればその日付が本来何色であるかを確かめることはさして難しいことではなかった。彼女はカレンダーの日付の青い日には黒いボストン型のフレームの眼鏡を掛けていたが、カレンダーの日付が赤い日に彼女がオーバル型のフレームの眼鏡を掛けることを、同僚や上司たちは勿論知らなかった。彼らはカレンダーの日付が青い日の彼女のこと以外、何ひとつ知らなかった。いずれの眼鏡も駅ナカの即席眼鏡店で選んだ安物のセルフレームであったが、彼女の眼鏡が伊達眼鏡であることを知る者もまた、一人も居なかった。
彼女は御節料理こそ好まなかったが、年末年始は好きであった。クリスマスになれば何を買うでもなく百貨店に足を運び、ショウ・ウィンドウやショウ・ケース、それらを覗き込む着飾った人々をつぶさに視て回った。彼女は大学を卒業するまで趣味は人間観察だとわざと公言し、履歴書の趣味欄にも同じことを書いた。彼女はそういった言葉の底の浅さが好きであった。大晦日にはガキの使いを観ながら時折紅白にチャンネルを変え、年越しは必ずゆく年くる年を見逃さなかった。彼女はそういった自分の底の浅さもまたとても好きであった。人々が一斉に帰省して人影の疎らになった東京の虚ろさは、より一層好きであった。
彼女は伊達マキという自分の名前を、好きとも嫌いとも思わなかった。両親にその名の由来を尋ねたことは無かったし、尋ねようと思ったこともなかった。しかし伊達巻が嫌いであるということは、嘘偽りの無い本当の気持ちであった。食わず嫌いであることは、彼女にとってさして大きな問題ではなかった。どちらかと言えば、ユカリという名の彼女の友人が、漢字でその名前をどう書くのかを頑なに教えようとしないことの方が不思議であった。不思議ではあったが、彼女にとってそれは不愉快なことではなかった。彼女は知らないことを知らないままでいることを好んだ。知らないでいることの数が減ることの方が、好ましくなかった。彼女はユカリという名の彼女の友人を「ユカリ」と声に出して呼び、ユカリは彼女を「マキ」と声に出して呼んだ。喫茶店で楽しく話をする分にはそれだけで十分に事足りたし、不都合は何も無かった。互いの名前を漢字で書くことができないことで困るような場面は、長い付き合いの中で一度も無かった。しかし、時折ユカリが彼女のことを「ダテマキ」と呼ぶことは、少し不公平だと思った。
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伊達マキは正月の三が日のほとんどを六畳一間のワンルームで過ごした。ファミリーマートと西友に出掛けた以外、外出はしなかった。ファミリーマートにも西友にも、伊達巻は売っていなかった。それどころか、ファミリーマートにも西友にも正月向け食品の売り場に伊達巻が売られていた形跡は無かった。伊達巻の値札のひとつすら痕跡が見当たらなかったので、売り切れたのか、そもそも始めから店に並ばなかったのか、伊達マキには判断がつかなかった。しかしそれは自分の名前の由来と同じぐらい、どうでも良いことであった。
伊達マキは他の幾つかの代わり映えのしない食品と一緒に、紅白の紅の方の蒲鉾を選んでカゴに入れ、スグレジではなく有人のレジに並び、会計を済ませ店を出た。袋は、持参のマイバッグではなく有料のビニール袋であった。他に、特に正月らしいことは何一つしなかった。普段と変わらない量の酒はいくらか飲んだが、御節料理の類は口にしなかった。紅白の紅の方の蒲鉾を二日に分けて食べきると、残ったすり身を包丁で刮いでから蒲鉾の板を丁寧に洗った。
伊達マキが彼女の部屋に新しい年のカレンダーが無いことに気づいたのは、1月も4日を過ぎてからであった。彼女の新年は、未だ青くも赤くもグレーでもなく、透明であった。従って、彼女は三が日を透明な眼鏡を掛けて過ごした。眼鏡はもとより大半が透明なプラスチックで出来ていたので、フレームに色のついた眼鏡を掛けていることと大差はなかった。彼女はその透明な眼鏡のことが気に入ったので、しばらくそのまま掛けていようと思った。そして今年は去年よりほんの少しだけ良い年なるかもしれないと、ほんの少しだけ思った。











