Talk Showのヴォーカリスト、Dave Coutts
Talk Show: Dave Coutts Gives First In-Depth Interview On Stone Temple Pilots Side Project
http://www.alternativenation.net/talk-show-dave-coutts-gives-first-depth-interview-stone-temple-pilots-side-project/
という記事を読んだ。2018年のものである。以下感想を交えつつ要約。
デイヴ・カッツはten inch menとして1982年に活動開始。メジャーレーベルとの契約こそなかったが、カレッジチャートで人気になるくらいの規模で活動していた。
カッツとロバート・ディレオとの出会いは、1980年代後半のことだった。当時ロバートとスコット・ウェイランドはSwingというバンドで活動していた。これはSTPの前身で、改名前のMighty Joe Youngより前のバンドである。opened upということは前座をしていたんだろう。デイヴ・カッツの生年はわからないが、活動開始時期の差などから察するに、ロバートから2~6歳上ぐらいなんじゃなかろうか。ディーンと同年代というか。このときはディーン・ディレオとエリック・クレッツはまだメンバーではなかった。
Ten inch Menの解散の顛末。Bon Joviに帯同してヨーロッパでのスタジアム・ツアーに出るようオファーがあったが、そのための予算として、所属していたレコード会社から23000ドル捻出せよということだった。しかしそんな予算があるなら当時予定されていたYesの復帰作に使うわというレコード会社は応じず、結局オファーは流れることになる。せっかくのチャンスをレコード会社の都合で潰されたわけで、まあもう10年も活動したんだし十分だ、と思ってTen inch Menをやめてしまったらしい。
そのころSTPのほうは、Coreでデビューするも批評筋からはn番煎じ扱いされていたり、Purpleの制作もうまくいかなかったり(sophomore slumpと表現している)というストレスが重なって、ウェイランドのヘロイン漬けの日々が始まってしまう。他のメンバーは当然うんざりするわけで、早くも1994年の時点で別のヴォーカリストを探す話が出ていた。そのときからロバートはカッツを候補に入れており、STPのツアー中にもかかわらず、マネージャーからの接触があったらしい。
カッツとSTPトリオの最初のデモは1994年の「Hide」だった。翌95年からは、STPのソングライターであるロバートとディーンは、ウェイランドが歌ってもカッツが歌っても良いという前提で曲作りをしていたらしい。「Tiny Music...」と「Talk Show」には似た雰囲気があると思っていたけど、単に制作年代が近いという以上の共通性があったということになる。
ウェイランドの薬物癖のために、STPは海外ツアーというものを出来ていなかったので(そしてそれがメンバーにとっては高いフラストレーションの原因になっていたので)、1996年にウェイランドが留置所に入れられて活動停止を余儀なくされたSTPが、クリーンなカッツとの活動を開始するのはごく自然なことだった。
カッツによれば、「Talk Show」というバンド名はディーンの発案によるもので、これは当時世の中がウェイランドとSTPの新しいシンガーについての話題で持ち切りだと思ったから(それを皮肉ったつもり)ということである。やや自意識過剰の気配を感じる。カッツはあまり好きではなかった。カッツ自身が提案した「14:59」(one second short of fifteen minutes)というは通らなかったが、Atlanticのどなたかが気に入って、Sugar Rayのサードアルバムのタイトルになった……ということである。ほんとかそれ。
「Talk Show」のレコーディングには10週間を費やした。ビジネス・サイドからのきわめて高い期待を反映したもので、「アンプのセッティングだけで11日も使った」というほどのシリアスさで進められていたらしい。
Talk Showのアルバム・プロモーション・ツアーは、Aerosmithの前座として行われた。このツアーには結成されたばかりのFoo Fightersも帯同している。ところがプロモーションの甲斐なく、アルバムの売り上げはビルボード131位という残念な結果に終わる。チャートのトップに立ったり何百万枚も売り上げているSTPのキャリアから言えば、まったく許容できない失敗ということになる。
レコード会社内部からの評判も芳しくなく(ある重役は最終ミックスを聞いているスタジオに入ってきて、「ディーン、スコットはいつ戻ってくるんだ?」と聞いたらしい。ひどい)、ウェイランドのソロアルバム「12 Bar Blues」もだいたい同じような結果になったこともあり、1998年の中ごろにはTalk Showは干された状態にされ、誰がどう見てもウェイランドの復帰が待たれている状況になってしまった。
といったところで、STPは復帰作「No.4」のレコーディングに入ることになる。「Talk Show」のツアー中にもバンドは曲作りをしていたわけだが、この時期のマテリアルは「Saturday」という曲だったものが「Glide」として作り替えられて「No.4」に収録されているのみである。
というわけで職なしになってしまったカッツだが、3年半におよぶハードなショウビズ体験にはほとほと疲れたようで(解散時点で36歳だった……ということは1962年生まれか。ディーンの1つ下だ)、音楽作りをやめたわけではないものの、子供を作って家庭生活を充実させるほうに注力していったそうである。
現在カッツは音楽業界とは関係ないところで定職について生計を立てている。ロバートとはまだ連絡を取り合っているようで、STPの新シンガーであるジェフ・グートについても好意的である。新譜(2018年のアルバムのことだろう)も楽しんでいるそうである。
と、いったこところで宣伝というか、カッツは最近知りあったマルチインストゥルメンタリストMarty Bealとのレコーディングを行っているようで、新曲が3つほどYoutubeにアップロードされている。そのうち1つは「Saturday」である。
別の短いインタビューで、ディーンのことを「chord snobb」と表現していることから言って、カッツとディーンの折り合いはあまり良くなかったようである。というか、ディーンにはなにやらコントロールフリークな気配があって、それがウェイランドとの軋轢を生みながらも、ウェイランド的なヴォーカリスト(音域を広く使う表現の幅、適度なしゃがれ声のニュアンス)を求めてやまない……という、STPトリオのキャリアを規定する大きな要因になっているように思える。
個人的にはTalk Showを始める段階で、「パワートリオにゲストヴォーカリストを迎える」という活動形態のバンドを目指してしまったほうが、コンスタントに活動できたではないかと思う。グレン・キャンベルのバックバンドをしてる映像とか、かなりいい雰囲気である。ただそれは今のように柔軟な形態の活動がいろいろと定着している現状があるから言えることで、90年代末の時点ではパーマネントなバンドによる成功こそロックバンド冥利という雰囲気はもっと強かったのだろう。小説家が長編で成功してなんぼ、みたいに思われるのと似ているかもしれない。のちのSTPは、チェスターの時には「futuring」をつけていたが、ジェフ・グートは正式メンバーとして活動している。
それに「ゲストヴォーカリストを迎える」という活動形態からすると、ネームバリュー的に劣るが年齢的には先輩であるというカッツを迎え入れる余地があまりなくなる。あくまでバンドとしての成功を目指したのには、地元の先輩バンドのヴォーカリストを迎えるという事情も作用していたように思える。しかしそれはディーンとカッツの間の不安定な関係性という別の爆弾を抱えることにもなったといえるのではあるまいか。
とはいえ、Talk Showはセールス的に成功していれば続いていたんだろうなと思わなくもない。STPはカッツに見切りをつける形で「No.4」のレコーディングこそ成功させたが、不幸にもリリースのタイミングで再びウェイランドが逮捕され、プロモーション・ツアーはキャンセルになってしまった。「Talk Show」が売れていれば、「12 Bar Blues」の不調によりウェイランド側がバンドへの復帰を熱望したとしても、とりあえずまだいいや、となっていておかしくなかったと思う。
「No.4」「SHangri-la Dee Da」という二作で実力派ロックバンドとしての実績をさらにあげた(売り上げ自体は「Core」「Pueple」には届いていない)からこそ、のちのVelvet Revolverへのリクルートがあったとも思われるので、このタイミングでの復帰はウェイランドが時代の波に沈んでしまうかどうかの瀬戸際ではあった。