ばるぼらとよばれて
今日大阪から帰ってきた。 というか正確には帰りの新幹線の中でこれを書いてる。
村田さんの家は長年通い詰めているということを抜きにしてもあまりにも居心地が良すぎて、いったん腰を据えてしまうとなかなか抜け出せない。ほんとは三日前には既に東京にいるはずだったのに。 村田さんとは年齢性別を超えた親友で、なぜかわからないけど馬が合う。村田さんのパートナーのとれさん曰わく「るみたんは女版村田」なんだそうだがこれは言い得て妙で、だからまぁ同族嫌悪もあってあんまりべったりどうこうしたいとかも微塵もおもわない。だからつかず離れずの距離を保ちつつ長年なかよくできてるのかなというかんじ。
そんな村田さんによく悪口としていわれるのが「昔のアニメ映画孫悟空に出てくる白いヒロインの猿に似ている」というのと、もうひとつは「手塚治虫のばるぼらにそっくりだ」というやつ。前者は私の見た目が野蛮で原始的だというのをあげつらってるただの悪口なんだけど、後者は、この十数年間の私の失敗だらけの恋愛模様をある意味特等席で鑑賞していた結果得たものらしい。ここ数年、しつこいほどに「似てる似てる」というものだから、そこまで言うなら読んでやろうじゃないのって話。
みなさんはばるぼら、読んだことありますか? これ、魔女の話なんですよね。ぐうたらのんだくれのどうしようもない女の子のばるぼらは、芸術家の下にふらりと現れてはだらだらと居着いて、しばらくするとまた去っていく流浪のミューズ。なにか一つ、その芸術家が代表作を生み出すまではそばにいてくれるけど、完成するとまた居なくなる。彼女の母もまたそう。芸術家を救い、翻弄し、霊感をあたえ、そして飽きればさっさと去っていく彼女は、確かに魔術に出会う前までの私の恋愛のパターンと怖いくらい合致していてちょっと気味が悪いほど。
自分によく似た物語をみつけるというのは、内省の絶好のチャンスを得るということ。
たしかに魔女になる前の私は「あらわすこと」を自分よりも遠い遠い外側に追いやって、かわりにパートナーにそれをおいかぶせてきてたような気がする。背負うほどの何かも特になかったし、そんなのより内助の功のほうが向いてるような気がしてたし。そういう、本来自分の望みであったものや心の深い場所で展開しているストーリーを近しい他者に転写し実現させようとする心の働きというのは結構よくある話なわけで、これは良い方向に働けばラカンのいうところの「欲望の交換」にもなりえるけど(ちょうどお正月頃にばんぎさんともこの話をした)めんどくさい方向にはたらけば耳なじみのある「投影」てやつにもなりえるわけ。せっかくなら良い方向になにごとも転がしていきたいよね。
物語られたものとしてわたしの目の前に今あらわれたばるぼらは、もう私ではなくあきらかな他者で、私にはもう既に語るべき私のあたらしい物語もある。
だから、もう私は流浪のミューズをやらなくていいはずなんだ。たぶんきっと。 なにより私は、魔女になったおかげで、もっと人間をやりたい、という謎の欲求に突き動かされつつある。人間として、人間と、恋をして交わりあい、命をつないでいきたい。人間として関わり合い、予期せぬ物語を紡いでいきたい。 だって私はばるぼらじゃないから。
それはさておき、この漫画、結構魔女魔女しいシーンや描写があるので是非そのへんに興味のある人には読んでみてもらいたい。黒ミサ式の結婚式のシーンとかね。あとばるぼらちゃん、かわいいよ。












