平野をめぐる山の雪、それは眩ゆいほど日に光って、金属でも見るように美しかったけれど、生憎西風の烈しく吹く日で、幌をしない車の上は手足もちぢかむほどに寒かった。
田山花袋『温泉めぐり』
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平野をめぐる山の雪、それは眩ゆいほど日に光って、金属でも見るように美しかったけれど、生憎西風の烈しく吹く日で、幌をしない車の上は手足もちぢかむほどに寒かった。
田山花袋『温泉めぐり』

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やはり、ドラッカーも第4の仕事の意味である「全体性」については高く評価している。 問題は第3の仕事の意味である「自己の成長と専門性の追求」だ。ドラッカーは専門性の重要性を認めながらも、それを単独で追求することには落とし穴があるという。自己満足に陥組織のニーズと乖離し、貢献できなくなる可能性があるからだ。ドラッカーによれば、「自己の成長と専門性の追求」と「全体性」の両方が結びつくことに意義があるという。 筆者としては、「目の前のことだけをする」は、ジョブ・クラフティングにも幸福感にもつながりにくいと思う。それに対して、「収入」「自己の成長と専門性の追求」「全体性」は 3つとも幸福感につながる要素だろう。だから3つとも存在することが理想的だと考える。 そのうえで、特に「自己の成長と専門性の追求」と「全体性」の両方が結びつくことは、ジョブ・クラフティングの実現に必要だと考える。
石山恒貴『定年前と定年後の働き方』
結局、情熱・動機・強みに基づくジョブ・クラフティングにはバランス感覚が必要というとになる。つまり情熱・動機・強みが「自己の成長と専門性の追求」と「全体性」にどう結びつくか考えてみるのだ。「自己の成長と専門性の追求」からは、自分のやりたいことが見えてくる。「全体性」からは、周囲の人たちの価値が見え、関係クラフティングを考えることができる。このバランス感覚が醸成できれば、「周りが見えないジョブ・クラフター」になることはないだろう。
石山恒貴『定年前と定年後の働き方』
一方、メキシコの手工芸品を収集するもう一人のアメリカ人に、アレキサンダー・ジラードがいました。世界を代表するインテリア&テキスタル・デザイナーとして知られるジラードはアメリカ、ニューメキシコ州サンタフェを拠点として、メキシコを中心に世界各地の民俗玩具や布類などの手工芸品を収集し、1982年には、サンタフェの国際民芸美術館(MOIFA)にみずからのコレクションを展示するコーナーを設立しました。 ジラードは、その収集や展示にあたり、そのものがつくられる文化とともに、作りだす個人にもスポットをあてて、現地までスタッフを送って記録映画をつくったりアメリカに招聘したりしました。それは、それまで欧米先進国の人たちばかりが個人として認識され、第三世界の、ましてや先住民の人が、個人として認識されることのなかったことに対する抗議であり、出自にかかわらず、優れた創作する人に対する、みずからも創作者であるジラードの敬意の表現であったといえるでしょう。 そして、ジラードが、その敬意の念を最大限に示した一人がアラソラ村のマヌエル・ヒメネスだったのです。
岩本慎史『オアハカの動物たち』
ぼくらはじぶんの存在をじぶんという閉じられた領域のなかに確認することはできない。ちょっとややこしい言いかたをすると、ぼくらには⦅他者の他者⦆としてはじめてじぶんを経験できるというところがある。ぼくらはじぶんをだれかある他人にとって意味のある存在として確認できてはじめて、じぶんの存在を実感できるということだ。ぼくがそばにいないとあのひとはだめになる、何もできないけれどただそばにいるだけであのひとは安心していられる、ぼくが病気かなんかで欠席するととたんにクラスは活気がなくなる・・・・・・理由はなんでもいいのだ。要するにじぶんの存在が他者にとってわずかでも意味があること、そのことを感じられるかぎり、ひとはじぶんを見失わないでいられる。 ロナルド・D・レインという精神医学者は、ひとは「じぶんの行動が<意味>するところを他者に知らされることによって、つまり彼のそうした行動が他者に及ぼす<効果>によって、じぶんが何者であるかを教えられる」と言っている。つまり、ぼくがぼくでありうるためには、ぼくは他のの世界のなかにある一つの場所をもっているのでなければならないということだ。それが他者の他者としてのじぶんの存在ということである。そういう他者の他者としてのじぶんの存在が欠損しているとき、ぼくらは、他者にとって意味あるものとしてじぶんを経験できない。 だから、そういうことが続くと、ぼくらはじぶん自身になるために、「じぶんで、他者の世界のなかに妄想的に意味ある場所をつくり上げる」という絶望的ないとなみのなかにじぶんを挿入していかざるをえなくなる。他人という鏡がないと、ぼくらはじぶん自身にすらなれないということだ。
鷲田清一『ちぐはぐな身体』

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私はマンハッタンの家賃を払えなくなってブルックリンに来たが、それによってここにいた誰かの文化やホームが犠牲になったことを知っている。ウエストビレッジでグッチのバッグを持つ女性が私の心中に怒りを呼び起こすのと同じことが、私の存在によってブルックリン出身者に起きることにも気づいている。なるべくヒップな店には行かないようにしているし、老舗の店を応援しようと思っているが、うまくいかないときも多い。どんどんと困難になるそんなこだわりに成功したときでも、結局たいしたことではない。ブルックリンもウエストビレッジも、取り返しのつかないほど変わってしまっていて、私もその一端を担っているのだ。 問題は、変化のプロセスが私よりはるかに大きくて、しかも相当進んでいるときに、どうやってそれを止めるかだ。大量の立ち退きは、自分たちの地区の歴史を語れる人がどんどん少なくなっていくことを意味する。そのためブルックリンに来る人が知っていることといえば、そこがヒップで高級な場所であり、おいしいブランチが食べられることくらいだ。サラ・シュルマンはこう書いていた。「ジェントリファイアーは、鏡を見て窓だと思う。企業の支援を受けて膨張する自分たちの物語が、世界の自然で正確な図であると信じている」
P•E•モスコウィッツ『都市殺し』
ジェントリフィケーションは、個人や機関の行動の効果というよりむしろ、不動産が制限なき商品としてみなされるシステムの論理的な帰結である。成長マシンとして機能する都市において、経済は何にも増して最優先される。貧困層やミドルクラスの必要性など、土地の価値を上昇させようとする欲望の前では、なきものとされてしまうのである。
P•E•モスコウィッツ『都市殺し』
昔の小学校はまたずいぶんかわったのんきなものであった。正月には子供が年頭の挨拶に百疋をもって先生のところへいくと、先生の所ではぜんざいを出し、また酒をのませた。子供たちが酔ぱらって大堂の中であばれまわってあそんだものであった。
宮本常一『忘れられた日本人』
一見すると愚かで不合理な行為でも、当事者にとってはそれなりの合理性や理由があることが記述できた場合、それによって当事者たちに生じる不利益や不都合の責任がどこにあるかという問題は、非常に複雑になります。「そういう事情があるなら、そういうことするのもしょうがないなあ」ということが理解できたときにもまだ、自己責任を当てはめるひとは少ないでしょう。 私たちは、当事者になりかわることもできませんし、そのしんどさを安易に理解することもできません。ただしかし、事情を納得するということを通じて、その人びとの「隣人」になれるかもしれない。黙ってそばにいることは、もしかしたらできるかもしれません。質的調査に立脚する社会学の究極の目標は、他者の合理性の理解を通じて、私たちが互いに隣人になることである。と言ってもいいと思います。
岸政彦他『質的社会調査の方法』

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このように、自分や自組織にとっての目的を中心にするのではなく、視野を広げてどんな課題を抱えた誰に対して取り組むのかという視点で目的を考えることが、より広い相手を巻き込むことにつながるはずだ。 これからの企業は「社会の資源をどう使えば、自社の利益を増やせるか?」という発想ではなく、「社会の課題に対して、自社はどんな役割を担えるか?」という視点に立てるかが重要である。自組織にしかできないことを大事にしながら、一段上の目的を考えてみよう。 こうした独りよがりではない共通目的にしていくためには、目的に階層性があるという考え方を踏まえると理解しやすい。目的に階層性があるという考え方は、紺野登氏が提唱する「目的工学」に基づいている。
吉備友里恵、近藤哲郎『パーパスモデル』
日本は大国です。大国だから、それにふさわしい強気の行動してもいいじゃないか、なんて思う人が出てくる。でも、大国は単独行動をとることができるほど強いからこそ、国際機構や地域機構を弱めちゃう。国際機構が安定する大きな条件は、大国がチームプレイに徹することです。
藤原帰一『正しい戦争は本当にあるのか』
お話の最後に登場するのは王妃になった娘で、王妃は「年下の子に意地悪をしたらいけません」と保育園のお姉ちゃんたちを諭し、「チョコレートをあげましょう」と、お迎えが来るまでそばにいてくれた先生に褒美をさずける。そうしたお話を私から聞くことで、世界は何も壊れていないと安堵して、娘はそれから眠りに落ちる。
上間陽子『海をあげる』
耳切坊主というおばけが首里城近くの玉うどぅんに住んでいることは聞いたことがあるけれど、耳切坊主はバスに乗れないので宜野湾市役所には来ないと思うこと。 ちなみにハンガーストライキというのは、ごはんを食べないという抗議の形であるので、風花がムーチーを持っていっても、元山さんは食べることができないということ
上間陽子『海をあげる』
単に出会って、通り過ぎただけだ。わたしは目的を持って、彼らの間を通過した。 わたしはこれからもずっと、どこかに行く途上にいるだろう。 途上にいるのは、落ち着かなくて不安定だが、たぶん何とかなると思う。 ホセが教えてくれたダンスが、まるで生きもののように、わたしのからだにあるからだ。
村上龍『KYOKO』

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キューバ人にとって、ダンスは、日曜日の午後を優雅に楽しく過ごす、といったものではない。奴隷や移民が生きのびていくためになくてはならないものだった。彼らは、厳しい労働でボロ布のようになって粗末な我家に帰ってくる、キューバのダンスはそこから始まる。正当な疲労と、誇りと、希望を、自らのからだに取り戻すために、踊る。だからそのステップは自然で美しいものでなくてはならない。
村上龍『KYOKO』
もっと英語が上手だったら、もっとラルフといろんなことを喋べれるのにと何度も思った。ラルフは、わたしが言うことを注意深く聞いてくれる。 それでも、当然もどかしさがあって、わたしはそれが鉄条網に似ていると思った。 鉄条網の傍を、鉄条網に沿って歩いている時の感じ。 何か大切なものから、隔てられているという感じ。
村上龍『KYOKO』