自己紹介
このブログに書きたいネタは沢山あるのですが、今回は自己紹介になりそうなことを書こうと思います。
職業
私は博士課程の学生です。
最近は研究機関で研究補助(プログラミングとか実験)のアルバイトをしながら、自分の博士研究の投稿論文を書いています。
私自身は、この状況について常に焦っています。
なかなか自分の論文は出ず卒業できないのに、同年代の人達はどんな形であれ彼ら自身のキャリアを着々と築いています。それは、確かに人生を推し進めていっているように映るのです。まるで私だけ時間が止まっているみたいで、たまにふと不安で寂しく思ったりしています。
支えてくれる家族の目がつらい時ももちろんあります。疲れて休んでいる身に、不意に催促のボディブローが来るのがしんどかったりします。いつ卒業するのか訊かれるのはもう何回目か忘れてしまいました。正直なところ、卒業したらちゃんと言うから一々分からないことを訊かないでほしい(なんて、わがままでしょうね)。
加えて研究界全体で国からの補助は毎年削減され続けています。本当に優秀な人しか研究の世界で生き残っていけない。これで焦らないはずがありません。
とはいっても、学生でアルバイトの身とはいえ、私は今、研究の世界に身を置いていることに幸せを感じています。新しい事を知る事ができる所や、学術の発展に貢献できる所も素敵なのですが、研究者には不思議な人というか、変な人が多いのです。この世界では私の変な所が際立たず、馴染んでいる。そんな意味でも最近居心地が良く感じています。ここがいつか帰るところになるように、この世界により長く留まれるように、日々実力を付けている真っ最中です。
宗教
私は学会の二世です。
家族では父親が最初に始めて、私は産まれてすぐ入会しました(もといさせられました)。二世としてはよくある始まりだと思います。
学会に属していて、学会に属さない人とは違う世界を沢山見てきました。その上で言える事は、端的に言えば、私にとっては合わなかったということです。ここはいつか帰るところではないと思っています。
そのため、親とのすれ違いや世間からのバッシング、自らのアイデンティティ等、これに関しての葛藤や苦悩は本当に数え切れないほどしてきましたし、今もしています。ですが、そのお陰で、世の中の一部の本質みたいなものも見えてきました。私も大人になり口(手?)が達者になってきたので、そろそろ人様にお見せできる形で心情を表現できるようになったと思いますので、この場ではオープンにしようと思いました。沢山ネタがあるので、後々、詳しく書こうと思います。
病気
私は、双極性障害Ⅱ型です。
双極性障害とは簡単に言うと躁状態と鬱状態を行き来する病気です。
正確に診断が下ったのは、修士課程1年の時ですが、その前から不調の兆しはありました。
今は薬による治療の最中です。しかしながら、仕事(アルバイトですけど)ができるぐらいの体調を維持している感じで、幸い現在は命に関わる最悪の事態には陥っていないと思います。
それでも生きづらさや絶望はもちろんあります。
治療中の人、最近診断が下った人、診断は付いてないけど自分もそうじゃないかと思ってる人達や家族の方々は、参考になることもあると思いますので、主に私の場合の状況…日常生活や症状、これまでの経緯、発端、影響等々、色々書きたいと思っています。
所属とアイデンティティの違い
と、簡単に自分の属性をご紹介したわけですが、
私自身、本当は何者、何事にも属したくないと思っています。
性別、宗教、職業、パートナーの有無、結婚しているかどうか、性的嗜好、等々…そういった単純で私の一部分でしかないものに簡易にカテゴライズされたくないし、カテゴリーによって私の人格を推し量ったりされたくないのです。
例えばの話ですが、学会(二世なのに学会が嫌い)だから双極性障害になったんだ、とか、非常に短絡的な発想や憶測を皆様にはしてほしくないのです。
当たり前ですけど、学会に属している人が皆双極性障害になる訳では無いです。
コンビニに行ったら皆様は必ずカップラーメンを買いますか?あ、あなたは買いますか。でも他の人はどうですか。皆さん違うものを手に取るでしょうし、コンビニに入った日やタイミングによっても取る物は変わらないですか?
本当に複数の条件が幾重にも折り重なって、一つの事象が成り立つと思うんですよ。
つまり、個々人の持つ主義や、発症した病気や、どんな事象やチョイスにも、同じ事が言えるのではと思うんです。
もしかしたらカテゴリ別の差異に統計的な有意差はあるのかもしれないですけど、でもそれも予測でしかないので、今回はこの問題についてはこれ以上深めません。
何かに属することは安心で安定的ですが、同時に、周りの人から見た私の存在を固定化させうるものなのです。それは私にとっては自由ではない…そんなものにフィルタリングされて私の人格を判断されたくないのです。
本来私たちはあらゆる次元で流動的な存在。
生きていく中で、人の肩書きや役割、立場が変わっていくように、徐々に理解できなかったものが理解できるようになるように、人の生き方、主張さえ変遷していくものです。
私の病歴や宗派は、私の考えの源泉に存在することは確かに多いですが、それら自体が私のアイデンティティではないのです。
私という存在はもっと別の所にある。
同じ病気、宗派、国籍だからといって、そのコミュニティの人々が全く同じ行動、言動、思考をするわけではないように。
他人にどう思われるか、なんて、私の力が及ばない仕方のないことなのかもしれないけど、
「私」をちゃんと見てほしい、より正確に理解してほしい…。
それが私の根源にあるボーダーレス観なのかもしれません。
それでも自己紹介する意味
私がカテゴリー嫌いなのは理解してもらえたと思いますが、とはいっても、私をカテゴライズすることで、私という存在が他者から見て分かりやすくなるのも事実です。
なので、苦渋の決断でしたが、まず自己紹介でお伝えしておくことにしました。
なお、宗派と病気については、様々な偏見や障壁が起こりうる可能性があるので、日常でのカミングアウトはあまりしていません。
色々な考えの人がいますから、自分を守る(余計な事で消耗しないようにする)ためには、隠すのは仕方がないかなとは思っています。
でもたまに、全部打ち明けられたらな、と思ったりもします。
それでは、よろしくお願いします。












