いっかいどこかでまとめておきたかった。自分用のメモという意味が強いですが、だらだらと思い付くままに書いていきます。
この記事は私が2020年2月「識織通信」あるいは「シオリスネイル」として投稿・公開している以下のオリジナル楽曲『2/4』の詞、映像、またそれに関わる私自身の人生についての雑記です。メタな話・死の話を取り扱うのでご留意ください。
『2/4』
お読みになる方は、ぜひ先にご視聴になってからお読みください。
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この映像では私の情緒の連続性が母の死の前後である種断たれていることを、「〈晴〉の死・〈雨景識織〉への生まれ変わり」へ仮託するかたちで取り扱っている。
この楽曲および映像は、2月4日生まれであることから「24」という数字の並びを特別なものとして扱ってきた私が24歳を迎える、というタイミングに合わせて、これまでの生を振り返る意図とともに制作された。
仮想のキャラクター〈雨景識織〉と〈晴〉の部屋。ペンタブのペンが立っています。黒い窓が反転して、〈雨景識織〉が「画面の中」になる。この四角い枠が、この映像ではやや特別な意味を持ちます。
自分の中にこびりついた、母の死といまの生に関わるオブジェクトが連続して表示されていきます。バーはモールス信号。
「置いてかないで」だなんて言葉は 存外そう出てきやしないな
なんにもわからないまま 殻砕く乱暴な音
何度も想うは終わりのこと 僕にとっては始まりのこと
凍えるあの冬 あの夜に張り付いた
窓の外が暗くなっていくなか、ベッドがプレス機に破壊されて星空へずれおちる。 プレスの直前に一瞬人影が映ります。 緑色のバツは心臓であり、マフラーは創作上で私が「死んだ母」の象徴としてこれまで扱ってきたモチーフです。(余談ですが私はマフラーを巻くのが苦手です)
葬式と墓地の卒塔婆、雨を予見する逆さのてるてる坊主。
すべての始まり、母の死の瞬間の記憶です。母が死んだのは冬で、お医者さんが心臓マッサージを続けている近くの椅子に座っていました。
とても見られたものではなかった。
心臓マッサージは乱暴に言えば肋骨を破壊してでも心臓を圧迫しようという行為で、私は風前の灯のような母が壊されていくことのほうが耐えられませんでした。死そのものの実感がすぐに湧くはずもなく、ただわけのわからないこわさとかなしさがあったような気がします。
気がするというのは、このとき明確に感情と思考が引き剥がされた実感があったからです。体はひたすら泣いているのに、このときいやに冷静な思考をする自分が乖離していて、他人事のように状況を見ていた記憶が強く残っています。私が大学生になる頃まで、私は自分がどういう感情を抱いているかという自覚・認識のすり合わせがうまくできないまま過ごすことになりました。
この前後で喪中の年が連続して、墓地に行く回数が増えました。卒塔婆に書かれた漢字・梵字の印象強さ。
これより前の自分が何を感じ何を思っていたのかを私はよく知らない。今に繋がる活動のほとんどは母の死をきっかけにしているので、私が私になったのはここからなんだと思います。
ひとり足りないままのバースデーケーキ 誰も座らない椅子に写真
枯れ落ちる葉のようで 嘘だったっけ?
食卓。横倒しの、誰も食べないケーキ。椅子に置かれたフレーム、机の端の郵便物。落葉。誕生日をタイトルにしながらこんな画を出すな。
母の死は私の誕生日のすぐ前で、不思議とどう誕生日を祝われたのかの記憶がありません。きっとそれどころではなかったから。
何かあるたびに遺影をはじめとした「物」が母として扱われるようになり、「席に着き」、「食事をし」、「車に乗り」、行動をともにしました。家は散らかるようになり、食卓には母の名義で届いた郵便物が家族の誰に所属するでもないものとしてなんとなく置き去りになりました。そのうち、「1席空いているわけではない」かのように食卓の1席分が荷物で埋まっていきました。今も実家はそうなんだと思います。
剥がれて 零れて 足りなくて これは届かない産声
遠い火の残像を遺して僕の中から消えた あなたは誰?
「撮られたがらないあなたの遺影はピンと来なかった。ビデオから聞こえるあなたの声を僕は知らなかった。」
母はあまり自分の写真を残さない人だったようで、ちょうどいい真っ直ぐの写真が無かったのでしょう、いつのものなのかよくわからない写真に合成的に体をくっつけた遺影が用意されました。当時もピンと来てはいなかったのだと思いますが、今見ても「いったいこの人は誰なのだろう」という感覚になってしまうものになりました。もう私のなかには実感としての「母」の像が無い。無いのに、穴は開いたままになりました。
実感も追い付かないままに、母は火となり煙となり骨になりました。母についての話は後から後から父に聞き、実感のない誰かは伝説のように光るようになっていきます。遠い火の残像。
「顔の無い人影が部屋に立つ姿を、何度か夢に見たことがある。」
「会いに来るあなたを僕の記憶が拒んでいるように思えて、朝には泣いていた。」
「僕はあなたの顔を失くしてしまいました。」
「ごめんなさい。」
「眠れぬ夜は星を見て過ごすのだと、僕と同じ闇夜に住むあなたは言った。」
「自分らしくいられる場所にいなさいと、僕と違う時間に住むあなたは言った。」
「僕はあなたの声を失くしてしまいました。」
「でも もうこの罪を溶かすことはできないんだと思います。」
母の夢を見ることがあるんですが、必ず顔や声が描写されません。どちらももう思い出せなくなってしまいました。曖昧な姿のまま現れて、当たり前のように過ごして消えていきます。この幻のようなものが幻のようなものでなくなることは、きっとこの先もうありません。
母はインドア派でかつ夜眠れないタイプの人間で、私はその点では母に似ていました。眠れないときにひとりで星を眺めて夜を明かした、という話は私が記憶している数少ない母の話で、今もたまに思い出しては幾分か気が楽になることもあります。それでもいいんだ、という。
また、母は時間をしっかりと守り遅刻や提出物忘れは一切しない(できない)という人間で、私はその点では母と似ていませんでした。これはおそらく後から父に聞いた話ですが、私は(自分で言い出すかたちで)中学受験などを検討していた時期があり、その流れもあって母は私の進路としてはよりマイペースでいられる環境であるべきだと考えていたようです。
私は小さい頃は何もかもが遅く、給食の時間が終わってもまだ食べ続けていたのを見て母は(自分との性格の違いから)小さくショックを受けていたと聞いています。そのうえで私の生き方は私の生き方として受容してくれていたのだと思うとかなりありがたい話だなと……。ちなみに中学受験は確か受けはしたのですが落ちました。母の死が小5の終盤だったのもあったし、勉強よりもやりたいことあったしね。
ちょうど収まるものなんて無くて 足りないものは足りなかった
両手いっぱいになって まだ掴めやしないまま
春になろうとも雪は解けない 集めども詰めども隙間風
おもちゃ箱の底の白が 根を張っていた
「四角」のなかに積まれる六角形。カラーサークル(→絵)、アニメーション、ナチュラル(ずれた音階を元に戻すための楽譜記号→音楽)、HTMLタグの枠。母の死を経た後の生き方。
遺影分の穴にいろんなものを詰めていきます。母はコンピューターやプログラミングの仕事をしていた人間で、多くの本を遺しました。そのなかにHTMLの本があり、ちょうど誕生日頃に父に声をかけてwebサイト制作を始めることにしました(元々その時点で私はインターネットに慣れ親しんでいた)。
自分のサイトのコンテンツを確保するという目的が生まれたのもあってかその後私は様々な種類の制作活動に手を出していき、「なにかをつくる」ことだけに関心を向けるようになりました(ほぼパソコンの前にしかいなくなる)。
学校や親からもらった楽譜をパソコン上で模写してサイトで流したりしているうちに作曲をするようにもなりますし、サイトに設置したお絵描きチャットでマウスで絵を描いているうちに美術部に入るようになったりもしました。FLASHに手をつけたりもして、不思議なことに今もアニメーションの仕事をしています。
それでも、それは何かの穴を埋めるものとして機能したかといえば疑わしい。思い悩むための時間や思考領域を別のもので占めただけであり、根本的な不足と向き合わないままに生き方だけが形成されていく時期でした。でもそれは、今思えばなにか防衛機制の一環だったのかもしれません。
朝露浴びてきらめく渦 誰も知らない夕に焼けて
砕けて死んでいた 離れないな
母の死と同時期にあった、ふりほどけない記憶。登校中に通学路にいたかたつむりが、下校する頃に踏み砕かれて死んでいました。
きっとよくあることなのだとは思います。ただ、小学生の私はこのとき「朝安全なところへかたつむりを移動させてやればかたつむりは死なずに済んだ」という強い意識を生じさせてしまい、これがかなり強烈な罪悪感として残ってしまいました。
これは母の死についても「自分が母にストレスをかけつづけてしまっていたことで弱って死んだのだ(=自分のせいだ)」とかなり長い間強く思い込んでいたことと関わりがあるんだと思います。これ以来、雨やあじさい、かたつむりをモチーフとして引き合いに出すときにはこのことが脳裏にあります。
私は小学校を卒業してからもしばらくの間、虫などを踏み潰すことがないように足元を見ながら歩く癖がつきました。今でもたとえば蚊などを殺したりする発想ができないままでいます。
はぐれて惑って 見上げた星は誘う 空の澄む方へ
遠い日の感情を探して冬を目指した 透明な僕は誰?
駅のホーム(ホームドア)、夜の星空。遺影のフレームは横倒しになり、PCのディスプレイのようになる。頭上にはりついたかたつむり。
冬への偏った思い入れ。死、星、置き去りにしてしまった感情。冬は母の季節であり、私の季節です。冬は夜が長く、星がよく見えます。その全てがなにかを思い出させるもので溢れています。
毒の花が鮮やかに咲くように きっと空虚さも僕になっていた!
あじさいに彩られ、葬式の遺影のようなレイアウト。 示すのは〈晴〉の死で、電車が通過して〈晴〉の姿はかき消されます。
母の死によって形作られたものは今の私の血肉であり、空いてしまった穴がそのまま私そのものになっていきました。そしてあじさいは、私にとって特定の記憶を誘発する有毒のきれいな花になりました(実際にあじさいには毒があるようです)。
「生きるべきは自分の方ではなかったはずだとずいぶん思い込んでいたし、今も拭い切れているわけではないんですけれど」
「いまさらなんにもならないことを考えて、のたくって身を引きずってきた跡が後ろに伸びていて。」
「その跡こそが自分なんだと思うと、引きずっていく跡の色くらいは変えていかなきゃなと思ったんです。」
「僕はこれから僕の跡を作っていくことになるし、それがもし向こうに届くならそれをちゃんと自分らしいと言える色で彩って見せることが唯一できることなのかなと今は思っています。」
冬とパソコンから始まって巡る、遺影と並んで眠る電車での旅路。髪は伸び、傘を携えるようになります。〈晴〉から〈雨〉への間。季節転換の隙間で一瞬ずつメモが映ります。
雪、夕暮れ、桜、曇天とあじさい、緑の木々、晴れた街、紅葉、イルミネーション。
イントロ部分と共通の、各オブジェクトの写真。端にキャプション。
弁当箱 → 「わずかな残り香」(MATERIAL)
ランドセル → 「何もわからなかった」(IGNORANCE)
こたつ → 「うずもれてしまった」(HIDDENNESS)
携帯電話 → 「もう拾えないことば」(SILENCE)
【弁当箱】
母が作ってくれていたお弁当の記憶が部分的に強く残っていることがあって、たとえば私はツナ(シーチキン)缶の種類に「まぐろ水煮」「まぐろ油漬」があるときに「まぐろ水煮」を必ず買うようになりました。これは母のお弁当の記憶が強いからで、おそらく母はどちらも使っていたのではないかとすら思うんですがたまたま強く記憶に残っていた味に近かったのが「まぐろ水煮」であったことに起因します。
【こたつ】
母がよく過ごしていたのは実家の和室にあるこたつ前だったのですが、母がいなくなってから誰も積極的に手をつけないまま物が増えていき、「あの頃の状態」を最下層に多分に維持したまま半ば物置きのような空間になってしまいました(今はどうなっているのかよく知りません)。最奥に仏壇が置かれ、それから「あの頃通りの生活空間」として復帰することは無かったように思います。私個人もあれ以来実家では一度もこたつに入りませんでしたし、一人暮らしをするようになってからも今までこたつを買ったことは一度もありません。
【携帯電話】
母が死んでから、半ばおもちゃとして母の携帯電話を使って着メロを流したりブラウザを使ったりしていました。別に自分の携帯電話も持ってはいたのですが。母に電話をかけても私にしか繋がらない。
まだおぼつかない歩き方 転んでばっかの僕のまま
届くかわからないけれど……
この映像を公開した2020年2月というのは社会人1年目の終わり頃で、改めて自身の生活力や社会的な能力の不足、生活を成り立たせるための困難などを強く見せつけられたタイミングでもありました。母が見ていない間に「うっかり」大人になってしまった。それでも生きてしまったので、生きていくしかない。
かすれて細っても描いていた これはいまここにいる僕の証明
遠い昨日から今日を解いて いま僕があるだけ
〈雨景識織〉として現れるまでのデザイン案の束、心電図のような形から軌跡になっていく線。
〈雨景識織〉のデザイン案はいくらかあって、2018年、母の命日頃(つまり誕生日近く)から実際に動画の投稿を行った2018年6月までの間に何度か大幅な改定が行われています。その経緯そのものもまた尊重したかった。大学を出て、職が無かったときの話です。
死と誕生日から始まったすべてのことが、最終的な私を形作った。今の私に繋がっていくほとんどのことが、そこから始まった。たったそれだけの単純なことを述べて、この曲の詞は終わります。
机上のスマートフォンの画面にエンドクレジット的に文字列が映っていきます。
「CREATED BY 雨景識織 2019.11~2020.02」
これはこの曲と映像の制作期間を示していますが、途中でちらつくように文字列が変化します。
まず、名前が〈晴〉に。〈雨景識織〉が〈雨景識織〉になる前の名前として、比較的早い頃から設定されていた名前です。これは私自身の本名が太陽に関係する字を持つことと、〈雨〉との対応関係を要したこと、そして性別を曖昧にとれることから決められた名前でした。
次に期間の始まりが「200 ~」に。これは母が他界した年の末尾1桁を消したもので、「今の私」の期間を示します。
最後に、期間の始まりが「19 ~」に。これは私自身の生年の末尾2桁を消したもので、「私」の期間を示します。この映像が、私が24歳になったこととリンクしていることを示すためのものです。
このスマートフォンの画面枠の意図するものは冒頭のディスプレイと同じく仮想のなかの〈雨景識織〉であり、最初から最後までを画面≒遺影の奥の話である、と括るタグとしての機能を持ちます。映像途中で遺影が横倒しになってディスプレイになったことと、スマートフォンが横向きに置かれていることの意味には共通したものがあります。私の四角い穴の中で、結果として起こっていたことがディスプレイの奥で描写されていた。
しょうもない額縁の中に私の人生を展示し終えたところで、最後はスマートフォンの手帳型のカバーを閉じる音で映像は終わります。これは実際に使っているものを録音したもので、ここから先も続けていくことになる、私の日常へ戻る音です。
ということで。やや尻切れ的な感覚ではありますが、時系列順の『2/4』の解説はこれでおしまいです。
今の私らしい事柄のほとんどができていくまでのことを、この心ができるまでのことをなんとかこのタイミングで拙いながらも形にしておきたかった、それが『2/4』でした。
最後に、きったなくてちっちゃくてとても読めたものではない『2/4』を考えているときのノートの一部や、途中経過で発生したものなどをおまけとして添えさせていただくかたちでこの記事を終えようと思います。