Wien
幻想的な白昼夢、皇帝の都ウィーン
現在のヨーロッパの礎となった神聖ローマ帝国皇帝のお膝元、ウィーンの話。ご存知ハプスブルク王朝は西はポルトガル、東はポーランドまでを覆うヨーロッパ連合の中心にして、約700年間に渡りローマ世界の世俗の最高権力者として西欧の歴史に名を残した王朝だ。
重要な君主は主に4人。 ブルゴーニュ公マクシミリアン一世 スペイン王、ナポリ王カール5世(新大陸アメリカの君主でもある) 女帝マリア・テレジア 最後の皇帝フランツ・ヨーゼフ
スイスの片田舎の弱小君主だったハプスブルク家をマクシミリアン一世がブルゴーニュ公国の跡取り娘と結婚したのを皮切りに、結婚政策によって領土を広げ、カール五世の治世ではスペインからアメリカ大陸までを支配下に入れた。マリア・テレジアは16人の子供を育てつつ、ネーデルランド、北イタリア、ハンガリー、ボヘミアまでを領土に組み込み、オーストリアを官僚制をもつ近代的な国家に改革したが、民族運動と第一次世界大戦、フランツ・ヨーゼフの死とともに帝国は瓦解し、共和制に移行する。
ちなみに、おなじみのマリー・アントワネットはテレジアの娘、ミュージカルで有名なエリザベートはフランツ・ヨーゼフの妻だった。
表紙になっているのは、郵便貯金局 (1904-1906) オットー・ワーグナー
郵便貯金局はリンクシュトラーセ内側の東端に位置し、台形平面のやや中心に写真のホールを持つ。外壁は大理石をアルミニウムのボルトで抑え、内部もボルトを装飾として扱う。ホールの柱は矩形断面をしており上方に行くほど太くなって、霧のように白いぼんやりとした光を落とすガラスの天井を貫く。床はガラスブロックによって下階に光を導く。
彼は『近代建築』を著し、水平線・平屋根・平滑な面からなる「浄化された様式」を主張し、課題・材料・構造への誠実な対応を求めた。そんな彼らしくこれまでの古典主義建築の要素や装飾は影を潜め、鉄骨・ガラス等の近代の材料を持って新たなバランス感覚で霧に包まれるようなホールを生み出した。
彼とその弟子、芸術家達が生み出した世紀末ウィーンの世界。 1895年から1905年、サラエボの銃声が響くまでの約10年間にわたって繰り広げられるこの動向は、産業革命・市民革命・労働者階級の台頭・アールヌーヴォーなどを背景に、幻想的な世界観を形作った。
セセッション館 (1897-1898) オルブリヒ
過去様式との分離を掲げる「分離派」の殿堂、セセッション館。 過去様式とはもちろん古典主義建築であり、ロマネスクであり、ゴシックで、彼らは使い古された形態の使用を拒む。球・直方体などの幾何学的形態と、月桂樹・フクロウ・トカゲ等具象的モティーフを組み合わせて象徴的意味に溢れている。ワーグナーの弟子であるオルブリヒ、ヨーゼフ・ホフマンのうちオルブリヒが設計した。
ファサードは凱旋門のような大きな足と、それとは不釣り合いな凹型のボリューム、それが持ち上げる金の月桂樹の球でできている。古典主義のプロポーションから大きく外れ、エジプトのスフィンクスのようでもある。窓がないから記念碑的で、装飾は限定的かつ平面的に用いられる。ホールはここでも天井から幻想的な白い光を落とす。
ちなみに、地下には分離派のメンバーの一人であるクリムトのベートベンフリーズが飾られている。
(参照:https://de.wikipedia.org/wiki/Beethovenfries#/media/File:Beethovenfries.jpg)
レッティ蝋燭店 (1964-1965) ハンス・ホライン
歴史は下り、戦後ウィーン。 この小さな店舗は、日本でいう銀座のようなウィーンの高級ブランド通りに立ち、それゆえ敷地は小さく経済的な効率性が求められていた。彼はその条件を満たした上で、けばけばしいネオンサインや商品でいっぱいのガラス張りの店舗ではなく、一面のアルミニウムと僅かな商品が並ぶだけの気品のあるファサードを作り出した。
宗教的な門を想起させるファサードでは、当時最新の材料であったアルミニウムが小さな開口部の内部まで連続していて、小さな場所に入り込んでいく感覚を抱かせる。しかし、内側に至れば部屋の両面に貼られたガラスによって無限に広がる感覚を味わう。
メディアの発達を背景に、「すべては建築である」と、建物そのものを超えて体験までをも建築と言い放つ彼の出世作。
(参照:http://www.hollein.com/ger/Architektur/Nach-Typus/Shops-und-Interiors/Retti)
シュリン宝石店 (1972-1974) ハンス・ホライン
ハース・ハウス (1985-1990) ハンス・ホライン
西洋人は本当に都市をつくることを大切にするけれど、それは日本人にとっては少しわかりにくい。それは西洋の街がかつて城壁に囲まれて生活圏が非常に限られた範囲にしか無かったからかもしれないし、街路も住宅内も石で作られていて住宅の外部もリビングと見なせるのだと言った人もいた。
何にせよ、街をつくることが景観をよくすることや商業活動を活発にすること、コミュニティーをつくることを超えて、彼らの知性の集合させる行為だということを示す好例がこのハース・ハウスだ。
シュテファン大聖堂を擁するシュテファン広場の隅に位置し、ウィーンの最も中心の商業地区であるグラーベン広場、そしてその中間のシュトック=アム=アイゼン広場に接する。街の主な軸線がここで90度屈折し、グラーベン広場に至る。ここはローマ要塞の隅部にあたり、かつては曲線の城壁が立ち上がっていた。
明確に分離されていた3つの広場が戦後の開発によってダラダラとつながり、ただ街角を曲って流れていく幅の広い構造化されていない街路空間が感じられるのみだった。シュトック=アム=アイゼン広場に至っては、かつては広場に面する建物の違いから認識できたものの、もはや広場として認識できないただの広い場所となっていた。
シュテファン大聖堂は間違いなくウィーンの精神的世界の中心であり、グラーベン広場は俗なるものの象徴であったから、これは日本人にもわかる卑近な例で言えば、先祖代々の墓の隣に壁なくして台所が置かれているような状態だった。
そこで、既存の街路空間を都市空間的に広場を構成するかたちで構造化することが求められ、提案はそのために中間休止をつくることであった。
この建物は主に二つのボリュームからなる。一つ目がグラーベンとシュトック=アム=アイゼン広場に接して立つもので、もう一つはシュテファン広場の境界に浮かぶシリンダーだ。一つ目のボリュームがかつて存在したローマ要塞の曲線にそって湾曲しグラーベンの街並みから次第にガラスになっていくのに対し、浮遊するシリンダーの方はシュテファン広場の隅部をつくり他の広場と分節し、区画整理前のこの地域の街並みを想起させる形をとる。
シュトック=アム=アイゼン広場に対してはガラスについた列柱廊を対応させたが、これは1972年にカルロ・スカルパが委員長となって行われた設計競技でホラインが提案したものだったらしい。
シリンダーの分節はシュテファン大聖堂を想起させるし、屋上のボリュームが合体した造形は周辺の建物の屋根の作り方を強調したものだ。
この建物の構成や動線、ガラス等の材料の使用についてピーター・アイゼンマンはプラトン『国家』を引用して説明していて、それは正直よくわからなかったのだけれど、ガラスに映るシュテファン大聖堂そしてキッチュな材料の使用はどこか皮肉的で理性的。
フンデルトヴァッサーハウス (1983-1987)
「直線は神なきものであり非道徳的なものである。直線は、非創造的的であり再生産された線にすぎない。そこには、神も人間精神も宿ることなく、ただ快適性のみを追い求め考えることを失った大衆がいるだけである」
この理論にさえなっていない宣言を出し、新表現主義の潮流を確実にしたフンデルト・ヴァッサー。彼の宣言の背景には第二次大戦後から中国革命、ベトナム戦争、そしてインドネシア独立戦争等の現実を眼前にして生まれた地域主義・経験主義・新表現主義という3つの考えが深く関わっている。
政治的に平和共存の社会への希望が挫折し、技術への不信感と人格や地域の伝統へのロマン的嗜好が高まった結果生まれたのが、地域主義(昔ながらの建築の作り方、理解されやすい形態・技術、伝統との結びつき)であり、経験主義(親しみやすさのための自由な形態・色彩・材料)であり、新表現主義(人間性の回復、形態の多様性と豊かな表現)だった。
建物は木材、陶器、ガラス、煉瓦等様々な材料でできていて、色とりどりの壁面、大小様々な窓、球体や円柱など様々な形を組み合わせた柱等、まるで絵本の中の世界のようだ。
色や植物に溢れる華やかなファサード、大理石等高価な材料・工業製品の不使用。建築の構成は全く面白くないが、ロマンいっぱいの超個人的建築。
Hotel Sofitel Vienna Stephansdom (2010)
ガソメーター(1999-2001)
(参照:http://www.wiener-gasometer.info/images/historisch/gasometer6)
DC タワー1(2014)
シェーンブルン宮殿(18C)
最後にウィーン郊外に建つシェーンブルン宮殿。
マリアテレジア時代にロココ様式で改修され、明るい淡白さと女性的な優しさがある。優美かつ繊細だがウィーンらしく平面的で、付け柱もほとんど壁面から飛び出さず、中央のボリュームも左右の翼からほとんど出て来ない。裏手には巨大な丘とその上にグロリエッテが建ち宮殿からの視線を受け止める。こちらは独立柱の列柱が並び記念碑的で、また宮殿の南に位置しているから午後には太陽がハプスブルクを象徴する双頭の鷲の背後から後光のように強烈に輝く。
ベルサイユのような永久に続いていくような庭園ではないが、限られた敷地と地形の捉え方で権力を象徴した大舞台。
王都ウィーン。 昼過ぎに居眠りをして見る浅い夢のような儚さと幻想性。 見た目はこざっぱりと品があり、それでいて中身は濃厚。 まるでザッハトルテのようなウィーン。
また行こう。
以下はグラーツ、ザルツブルク。












