【いつからだろう、知らぬ間に】
昔から、悩みを人に話すのが嫌いだった。
というよりは、気付けばトラウマになっていたんだと思う。
自分の悩みを話して他人にまで自分の悩みを考えさせることが負担な気がしていた。
それ故、物事が解決するまでは極力口にせず、
耐えきれなくなったときもこうやって文章にする程度で、特定の誰かに話すことはあんまりしてこなかった。文学部卒には有るまじき言い分かもしれないが、人に伝える際に簡潔に思いをまとめることが苦手なのもあるけれど。
まだ23年しか生きてないものの正直なところ、
重い話題ほど「打ち明けて良かった」よりも「話さなければ良かった」の方が多い。
勿論、話さなければいけないという場面も生じてくることはあるし、自分が何かを犯してしまった場合はまた話が別になってくるが。
少し前に、祖母に私が嫌がらせを受けた話をしてしまったことがある。私は、相手が100%悪い訳では無く相手にも相手なりの事情もあるだろうし、自分にも悪い部分はあると思っていた。
その話を聞いた祖母は私なんかより遥かに悔しがっていた。怒っていた。
私は、孫に対してそういった熱いものを見せてくれた感謝より先に、「そこまでならなくても」といった困惑や、「自分のことじゃないんだからそんなに熱くなってくれなくてもいいのに」といった申し訳無さに近い感情を抱いていた。感情を激化させることは気力も、時に体力も使う。私のためにそんな消費はしなくていいのに、と思う。
私は、自身の出来事が他人の感情を動かしてしまうことが本当に苦手なのだ。変に自分のために感情を動かして貰うよりかは、冷たい反応を受けた方が気が楽なのである。極端な心配は返って負担だった。
元々明るい人間では無いのに、明るく気丈に、目立つポジションにいることが多かったのも、心配と無縁の立場にいたかったからである。盛り上げ役や仕切り役に回れば、心配されるような負の部分は隠しきれることの方が多い。というよりは高確率で「悩みとは無縁そうだよね」と思ってもらえる。それが一番の狙いだった。
弱味や弱点を見せることが怖いのとはまた少し違う。
必要があれば「自分にはこういう弱い部分があるから予め理解しておいてほしい」と話すこともある。
故に、弱味を握られることに関しては別に何とも思ってはいない。無論、その弱味で遊ばれるようなものならそれは良い気はしないけれど。
一番苦しいは私のことを自分のことのように考えられることだったり、相談してもない私の悩みに色々助言をされること。人に話さない悩みは、共有してもらうことが申し訳なくなるから話さないのに…
しかし、仕方ないことなのだがあまりに人に悩みだったり、立ち止まっていることを話さないと、遠回しに「お前は悩みも何もなくていいよな」「楽でいいよな」という嫌味な態度を取られることもある。
勿論、助けてあげたい!と同情されるよりは遥かに良いのだが、それはそれで悲しくなることもある。笑
これだけならまだ良いのだが、人に悩みを話さない上に、人と衝突したら色々言う割に自分が引くこともよくある。人に悩みを解決するまで自分だけのものにするという行動の中で、耐えることに対してのハードルが極端に下がってる自分がいるのだ。
ただ自分が悪者側に回ればいいというだけの話ではない。
「どういう言い回しをすれば自分が悪者側に回れるか」「復旧するときに、どう言えば相手によく思ってもらえるか」など。自分の感情を押し殺したとしても相手が良ければそれが一番平和に事が済む。
相手を立てるためなら、相手が気持ち良く思えるなら自分の感情なんて二の次で、時に殺しても何ら問題ない。
おそらくいじめの後遺症だろう。相手の感情を察知した上で行動パターンを読んだ上でどう行動すればいいかを考える部分は。そのどう行動すれば、の部分が「相手を立てること」になりやすいのだ。それが一番もう怖い目に合わないとでもどこかで思っているのだろう。
そのかわり単純な部分、簡単に他人から目に見える部分ではすごく自分主義でワガママで、自分に甘いような私でいるようにしている。そこでバランスを取らないと流石に私が私でいられなくなる。しかしこの私を見せる人は逆に言えば「深い部分を知られて心配をかけられる恐れのある」かなり親密な関係であることが多い。故に私は近しい人ほど自分主義とかワガママだと言われやすい。
最近、近しい人間ほど距離感を取るのが難しく感じる。
距離感の遠い人間なら「明るい子だな」で全て済まされる。
稀にいる察しのいい近しい人間は、理由まで気付いてるかは別として私の悩みには話さない限りは触れないでいてくれる。もしくはその悩みをはぐらかしたときに、はぐらかしたという私の嘘に嘘だと気付きながら騙されてくれる。
しかし、私なりには近しい距離にいると思っていたのにも関わらず、「ワガママだし自分主義だし、悩みも無さげに楽そうにしてる」と思われてるんじゃないかと不安になることが最近になって偶に生じてきた。そう思われてる上で自分の考えを折って人と接してるなと思うことも極稀にあるのも事実である。その度に思う。その場の自分の考え以上に何か殺していることに気付きながらも、やっぱり自分が折れた方が楽なのだなと。
それでも人間、孤独は怖いものである。
何より、私の近しい部分まで来てくれている人たちはみんなみんな、大切な人達だ。
こんな私に付き合ってくれる人達だ。簡単に離れたくはない。
それが故に「こんな私」になっている。
誰よりも私自身が一番私を傷付けている。私の受けたいじめの一番の加害者は、恐らく私自身だ。











