記事の中で印象的だった「異端」とソーシャルネットの関係について、Tumblerで短いブログを書きました #social #pull #value
最近、マネジメント論でホットな「Pullの議論」では、いかにPullされる価値を持ち、見つけてもらえる状態になるかが具体策になる。では見つけられる「価値ある存在」とは何か。それは、主流を述べる存在ではなく、他と異なる意見やアイディアを伝える存在であること。これをPullの議論では「エッジ」と呼んでいる。日本語で言えば「異端」。他と違わなければ、存在意義がない。これが大量の情報が流れるソーシャル・ネットのルールであり、グローバル化の時代を勝ち抜く法則だ。ホリエモンはこの構図を「日本人は静かに、等しく、貧しくなっていく」とズバリ言い当てている。
この話を自分自身に引き寄せれば、主流であることを存在感と捉え、”変わっている”ことを恐れていた長い時間に気づく。異なる視点があっても、際物となることを嫌い、主流の話を基礎に質的な違いを加える。独創性は半分に、とんがった部分(エッジ)は柔らかい話を隠れ蓑に・・。これでは、国内の限られた世界では喜ばれても、海外では通用しない。国内でも多くの情報が流れ、皆が進化して中心部分を自己解決できるようになれば、次第に存在意義が小さくなる。
価値観さえ「主流=本道」であれば、考え方やアイディアは”変わっている”方が価値がある。変わっているとは”変”でずれているのではなく、独創的で答えをもっていること。当然、歴史も主流も理解し、全体像を捉えた上で、”正当な変わったこと”を唱える。何が前面かの問題。「主流論→違い」ではなく、「違い→主流論」。そうすれば、世界が価値を見つけ、いつしかその”違い”が主流になる。これがPullの時代だ。
こう考えると、「当たり前のこと」を意見としてわざわざ述べる方が、ソーシャルネットの上でも世界でも、よほど”変わったこと”なのだと気づく。きっと”タコツボでまったりとFBを使う”というこの頃流行の皮肉にズバリなのだ。